塾生の声|NPO法人[社会起業・政策学校]一新塾(大前研一創設)|志を生きる人生にライフシフト

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塾生の声

根っこでつながる志のコミュニティ

一新塾出身の社会起業家、一新塾出身の政治家、一新塾出身の市民活動家。一新塾独自のプロジェクト立上げの方法論を学び、実際にゼロからプロジェクトを立ち上げたことが起点となっています。85人の方の塾生体験談をご紹介しています。(これまでの塾生は6000人)
卒塾生がなぜ変われたのか、一新塾の学びや活動をご紹介する体験セミナー開催中。

社会起業家へ転身! 議員へ転身! 仕事をしながら市民プロジェクト!(NPO活動)

社会起業家へ転身!

ハコモノ有効活用で地域を元気に 深田 智之 (一新塾4・5・6期/会津東山温泉くつろぎ宿社長・湯瀬温泉せせらぎ宿社長)
深田智之(一新塾4・5・6期/会津東山温泉くつろぎ宿社長・湯瀬温泉せせらぎ宿社長)

◎入塾前は、会社員 → 旅館ホテル再生事業で起業

講師の本音の話は期待通り、これまでの会社中心の人生の延長線上では出会うことがないであろう「人」とのつながりも実現。人生の選択肢はどんな時でも1つでないことを、頭でなく心で感じることができたことが一番の変化でした。沢山刺激を受けて、私はシンクタンクに在籍していた専門を活かし2001年末に独立。福島県で3旅館を同時再生し、現在は秋田県の湯瀬ホテルの事業再生も担っています。人生を迷っている人に、夢を抱いている人に、私は一新塾をお勧めします。
深田智之 (会津東山温泉くつろぎ宿社長・湯瀬温泉せせらぎ宿社長)

被災地の医療現場で高齢先進国モデルをつくる 武藤真祐(15・21・24期 医療法人社団鉄祐会「祐ホームクリニック」理事長)
武藤真祐(15・21・24期 医療法人社団鉄祐会「祐ホームクリニック」理事長)

◎入塾前は、医師・会社員→在宅医療開業(東京・石巻・海外)→(株)インテグリティ・ヘルスケア起業(オンライン診療サービス)

東京・石巻・シンガポールで在宅医療の現場で仕事をする生活を続けています。また国内外に拠点を拡大し現在オンライン診療も推進しています。一新塾に通っていた当時、私はマッキンゼーという会社でコンサルタントをしていました。それまで大学病院におりましたので、ある意味、大組織で働く身でした。ですから、一新塾が言う「市民の力」は、ある程度は理解をしつつも、本当なのかな?といった思いも正直ありました。しかし、一新塾で触れ合った人たち、そして何より東日本大震災に石巻にまいりまして、本当に市民の力が世の中を変えていくということを目のあたりにしました。私の活動も、一人の市民が何ができるのか、というところがはじまって、多くの仲間に恵まれて今に至ります。根っこの思いは皆さんと同じです。
武藤真祐(医療法人社団鉄祐会「祐ホームクリニック」理事長)

養豚農家で起業!宮治勇輔(一新塾13期/株式会社みやじ豚代表取締役社長・NPO法人農家のこせがれネットワーク代表理事CEO)
宮治勇輔(一新塾13期/株式会社みやじ豚代表取締役社長・NPO農家のこせがれネットワーク代表理事CEO)

◎入塾前は、会社員 → 実家の豚肉ブランド化で起業・農家のこせがれネットワーク

僕が実家に戻る決意をした社会人2年目の夏、人脈を拡げ、起業のために勉強しようとビジネススクールに通う決意をする。毎朝早く起きて様々な本を読んで勉強したので、いわゆる「お勉強」をするためにビジネススクールに通うつもりはなかった。だから、なかなかしっくりくるビジネススクールに出会えなかった。そんな中で、「これだ!」と思ったビジネススクールがこの一新塾だった。2006年9月、僕は実家の養豚業を継いで株式会社みやじ豚を起業。
2009年、「一次産業をかっこよくて・感動があって・稼げる3K産業に!」というビジョン実現のために農家のこせがれネットワークを設立。日本農業の変革を目指し邁進している。
宮治勇輔(株式会社みやじ豚代表取締役社長・NPO法人農家のこせがれネットワーク代表理事CEO)

世界をつなぐベンチャーをつくりたい 加藤 智久(5・6期/(株)レアジョブ創業者・Zuitt.Inc創業者)
加藤智久(一新塾5期6期 (株)レアジョブ創業者・Zuitt.Inc創業者)

◎入塾前は、高校生→ フィリピン人講師の英会話で起業し上場→フィリピンで起業

一新塾最年少入塾で、「高校生加藤くん!」と呼ばれていました。起業家、政治家、NPOのリーダーなど、自分で道を切り開いている方のお話を聞き、自分も将来、そういう道を歩いていきたいと思いました。27歳の9月にそれまで働いていた戦略コンサルを辞め、11月にオンライン英会話「レアジョブ」を立ち上げました。現在フィリピンに講師4000人を抱え、オンラインで英会話レッスンを提供しています。全国の中学・高校でも導入がすすんでいます。一新塾で学ぶと、多くの講師、仲間との出会いを通じて、あなたという桶の中にぽたぽたとたまっていき、気づいた時には、あなたのエネルギーが世界に向けてあふれ出していきます。
加藤智久((株)レアジョブ創業者・Zuitt.Inc創業者)

子育て、地域産業は市民の手で 菊地真紀子 (一新塾21期/合同会社VALN代表)
菊地真紀子(一新塾21期/合同会社VALN代表)

◎入塾前は自営業→ 女性が活躍するまちづくり会社起業・地域映画の制作活動等

20年以上カタカナ自営業をしてきましたが40代になって何か物足りない、本当に自分がやるべきことがあるのではないかと一新塾の門を叩きました。「主体的、現場主義を貫き行動すること」「支援とは対象者を自立させること」が心身に染み通りました。チーム活動を機に地元大田区の子育て現場に飛び込み、環境整備や制度改革に携わり、そこから広がったものづくり、女性起業家、ネットワークを構築。2010年、ものづくりの企業、出産・子育てのためにキャリアを断念せざるを得ない女性たち、これら価値ある地域資源を活用し地域の問題解決をするために合同会社VALNを仲間と設立。さらに、地域映画の制作やコワーキングスペース、子ども食堂などの運営等にも挑戦しました。
菊地真紀子 (合同会社VALN代表)

伝統と文化に誇りを見出す社会を目指して 堀田卓哉(一新塾27・29期/株式会社Culture Generation Japan代表取締) )
堀田卓哉(一新塾27・29期/株式会社Culture Generation Japan代表取締役)

◎入塾前は、会社員
→ 日本の文化を伝える会社で起業

「このままサラリーマン生活で人生をすり減らしていいのか」「自分を変えるきっかけが欲しい!」、そんな想いから入塾。合宿やチーム活動ではメンバーや講師陣から砕かれ、サラリーマン時代に培った価値観をゼロに戻された場が一新塾でした。そして、ゼロになった時に見えてきたミッションは「日本の伝統や文化に誇りを持てる社会を同世代の仲間と創る」ことでした。ミッションを軸に起業し、東京都美術館と伝統工芸品に新しい価値創造を試みるプロジェクトを展開。ジャパンブランドの未来をつくる「JAPAN BRAND FESTIVAL 」の企画運営に携わっています。入塾される皆さんと共に社会変革への挑戦ができることを楽しみにしています。
堀田卓哉(株式会社Culture Generation Japan代表)

南三陸町初のワイナリーで起業 佐々木道彦(一新塾43期 南三陸ワイナリー株式会社 代表取締役)
佐々木道彦(一新塾43期/南三陸ワイナリー株式会社 代表取締役)

◎入塾前は、大手楽器メーカー会社員
→移住してワイナリーで起業

転機となったのは、東日本大震災の際のボランティア。静岡県浜松市から岩手県沿岸部で復旧活動へ。命が一瞬で奪われた無念さ、残された家族の悲しみに触れ、自分は何ができるかを考え続けました。その結果、復興につながる仕事がしたいと思い、会社を辞めて2014年に仙台に移住。
2018年一新塾に入塾。復興には継続的な事業が必要だと実感し、2019年2月に、南三陸ワイナリー(株)を設立し海の見えるワイナリーを町の中心部に建設し、2020年10月漁港のすぐ傍に海の見えるワイナリーをオープンしました。食とワインを通して、人と人とがつながり南三陸とつながり、多くの“つながり”をつくり続けることが私の願いです。町の課題解決に向けて、ワインブドウの生産と南三陸産ワインの醸造に挑戦して他産業との連携による多角的な産業振興も目指します。
佐々木道彦(南三陸ワイナリー株式会社 代表)

徳丸ゆき子(第30期 NPO法人大阪子どもの貧困アクショングループ(CPAO)代表)子どもの貧困問題にアクションを
徳丸ゆき子(第30期 NPO法人大阪子どもの貧困アクショングループ(CPAO)代表)

◎入塾前は、NGO職員→子どもの貧困を解決する活動団体を立ち上げ

私は小さい頃、登校拒否児でした。「不登校の子供のためなら何かできるかも。」と最初の仕事は引きこもり支援の仕事を5年。その後、国際協力NGOセーブ・ザ・チルドレン・ジャパンで10年。その間に東日本大震災があり、復興支援のスタッフとして1年被災地に通いましたが、シングルマザーの私は3歳の子どもを連れて通っていたので大変でした。組織で仕事をすることに限界を感じて、2012年一新塾の門を叩きました。
一新塾では様々な事業プランを考えましたが、卒塾間近の2013年5月24日に大阪市北区で母子が餓死する事件が起こったので、次の日に一新塾の仲間と「大阪貧困子どものアクショングループ」を立ち上げ。そこからシングルマザー100人へのインタビュー、子ども食堂など、大阪市生野区で子どもの声を聴き心ある人とつながりながらアクションし続けています。
徳丸ゆき子(NPO法人大阪子どもの貧困アクショングループ(CPAO)代表)

足利元気!プロジェクト 佐藤秀雄(一新塾28期/スタイリッシュグループ代表)
佐藤秀雄(一新塾28期/スタイリッシュグループ代表)

◎入塾前は、住宅会社の経営者
→ 介護事業へ新規参入

当時の私は野心の塊!28歳で起業した会社は好業績をつづけていました。そんなある日、脳梗塞で生死を彷徨います。この経験から志に目覚め、一新塾に入塾しました。講義では知識とともに、理想と現実のバランスをとる大切さを学び、チーム活動では理念に共感した仲間と「足利元気!研究会」を立上げました。そして現場視察を繰り返し、試行錯誤しながらも新たなプロジェクトが生まれました。それは低価格で高品質な介護サービスを提供する施設と、自給自足農園、自然食のコミュニティカフェを複合した「ふれあい広場」です。ここを基点に市民の手で地域のお困り事を解決するコミュニティをつくり、雇用を生み、地域活性化の起爆剤にしていきます。私にとって一新塾で過ごした時間と出会った仲間は、一生涯の宝物です。
佐藤秀雄(スタイリッシュグループ代表)

お笑いの力を最大限に活かして社会問題を提起 たかまつなな(一新塾35期/お笑い芸人・株式会社笑下村塾代表)
たかまつなな(一新塾35期/お笑い芸人・株式会社笑下村塾代表)

◎大学生で入塾
  →高校生の政治教育で起業

私は小学校のころ「社会の問題をもっと伝えたい」と子ども記者としても活動しましたが納得いきませんでした。 中学2年の時、お笑いを通して社会問題を発信することができることを知り、「お笑いジャーナリスト」を目指してまず「芸人」となったのです。 芸能事務所に所属し、「お嬢様キャラ」として芸人を始めました。 慶應大学3年の時様々な思いがあり、志を生きる道を求めて一新塾の説明会に参加し、入塾しました。 研修合宿に参加して、社会人の皆さんに励まされ、自らのミッションをより社会に発信すべく、定期的に映像発信を行う流れをつくることができました。さらに、次世代を担う若者が社会の現場の声を知らず、主体的に物事を考える機会が持てない現状を打破したいとチームも立ち上げ。 そして自分のミッションを思う存分生きるため、所属している芸能事務所を円満退社しフリーのお笑い芸人となり再出発。 東京大学と慶應大学の大学院にも進学。
このたび18歳選挙権の授業を高校で行うべく、株式会社笑下村塾を設立し、全国の高校で出前授業を始めました。 「お笑いの力」を最大限に活かして、高校生に社会問題を提起する試みです。

※「株式会社 笑下村塾」が群馬県とタッグを組み、県内全ての高校で主権者教育の授業を実施するプロジェクトで第17回マニフェスト大賞(2022年)のローカル・マニフェスト大賞<市民・団体の部> 優秀賞受賞。都道府県レベルで官民連携の一斉授業を実施するのは初の試み、「公共」がスタートし主権者教育のあり方の議論が活発化する中で注目されました。 2022年参院選の18歳投票率は前回と比べて8%以上アップ。

たかまつなな(お笑い芸人・株式会社笑下村塾代表)

すべての人間の価値がお互いに認められる社会へ 白根邦子(30・32・34期 一般社団法人happy choice代表)
一新塾30期 白根邦子 一般社団法人ハッピーチョイス代表

◎入塾前、障害者施設に勤務
  → 障害者施設の商品を加工販売する会社を設立後、「戸定そば 幸」と就労継続支援B型事業所立ち上げ

障害者施設で働きながら、障害者は社会の中では「生産性がない人たち」と思われていることに矛盾を感じていました。「自分ができることは?」自問自答の中、一新塾へ入塾し、共感してくれた仲間とプロジェクトを立ち上げました。「すべての人間の価値がお互いに認められる社会へ」というビジョンを掲げて、2013年法人を設立しました。障害者が作る製品を社会へ普及させるため、開発、流通、販売を行い、「日本酒造り」に挑戦し、2016年2月に、無農薬の酒米を障害者に作っていただき「幸sachi」が完成。現在は、「 戸定そば幸」(日本酒「幸」と手打ち蕎麦のお店)と就職継続B型事業所「ハッピーワーク松戸」を運営中です。皆さんも、自分でしかできない社会での役割があるので、ぜひ、挑戦してください。
白根邦子(一般社団法人happy choice代表・就職継続B型事業所「ハッピーワーク松戸」・戸定そば 幸)

 福島県で女性向け就労支援「工房もものたね」 佐久間香里 特定非営利活動法人かおり福祉会 代表理事
一新塾49期 佐久間香里 特定非営利活動法人かおり福祉会 代表理事

◎入塾前、アナウンサーを経て福祉施設勤務
→ 女性向け就労支援事業所「工房もものたね」を開所

私は大学卒業後、縁あって福島県でアナウンサーとして2年半働いたのち、東京でフリーアナウンサーとして10年間活動していました。 地方局で経験を積ませてもらった後、フリーアナウンサーとして働きながら、休日は介護のアルバイトや障がい者スポーツ等ボランティアをひそやかに続けていました。 NPOや福祉の勉強をもっとしたいと思い、大学院にも入学しました。 福祉にこだわってきた理由は、大学3年生の時の体験です。父が脳溢血で半身不随となりました。 大変な状況でしたが、寝たきりの父が仕事復帰するまで努力し続ける様子は、私にとって尊敬できる、かっこいい父の姿でした。 バラバラだった家族が一致団結するきっかけともなりました。障がいを持つことは、その人や家族の本質が見えるチャンスでもあると感じられました。 この経験は、私の人生の第一のターニングポイントであり、原点です。それからは、福祉は私にとってなくてはならない大切なものとなりました。 第二のターニングポイントは東日本大震災です。
全文はこちら・・・
佐久間香里(特定非営利活動法人かおり福祉会 代表理事)

僕らのグローバルスクールをつくろう! 黒江三栄子(一新塾40・42・44期/一般社団法人グローバル文化協働支援センター代表理事)
黒江三栄子 一新塾40・42・44期/一般社団法人グローバル文化協働支援センター代表理事

◎入塾前、経営者(ダンス・レストラン)
→行政と協働して地域のグローバル化を推進する団体を立ち上げ

公務員を辞めて、1984年、27歳のとき、ダンススクールを創設しました。JAZZダンスブームにのって景気にのって生徒数が上昇。
また、アーティストとして、7年間ニューヨークに行ったり来たりの生活も経験しました。けれども、リーマンショックや311の経営難を契機に、地域へとフォーカスが移しました。ダンスをご縁にベトナムとの異文化交流や留学生支援をきっかけに、現在はダンススクールを経営しながら近くでベトナムレストランも開いています。だんだん「地域とは何だろう?」との思いを抱き、大前研一氏が創設した一新塾へ2017年に入塾しました。
一新塾では、川崎市民とベトナム、インド、中国等の外国人との共生を目指して、新たなリベラルの教育の場づくりのために「僕らのグローバルスクールをつくろう!」プロジェクトを立ち上げました。今、さらなる地域コミュニティづくりのために仲間を得て「ふれあいふるさと食堂」も運営し毎回大盛況。行政とも連携して新たな「まちづくり」にも取り組んでいます。
黒江三栄子(一般社団法人グローバル文化協働支援センター代表)

産後うつゼロの社会の実現のために 行本(ゆくもと)充子 41・43・45期/一般社団法人 乳幼児子育てサポート協会代表・
産前産後トータルケアネットワーク代表
行本(ゆくもと)充子 41・43・45期/一般社団法人 乳幼児子育てサポート協会代表・
産前産後トータルケアネットワーク代表

◎入塾前、経営者
→産後うつゼロを政策提言する新たな団体を立ち上げ
地域や企業と連携

私は2013年に一般社団法人 乳幼児子育てサポート協会を設立、産後うつを”未然に防ぐ”ための活動を行っていて全国にのべ100人の講師を育成しました。産後うつゼロの社会の実現に向けて、ネクストステージに挑もうと2017年11月に一新塾に入塾しました。
「産後うつ」は、虐待や少子化、離婚からの貧困へつながる大きな社会問題です。私も以前「産後二ヶ月、毎日泣きながら」の子育てを経験しましたが、当時住んでいた地域で良き出会いがあり、子育てが楽しくなりました。
子どもが生後7ヶ月になった頃、「私も、私が救われたようにママたちの居場所を作りたい!」と強く感じ、自宅の一室でベビーマッサージ教室を始めたのです。 現在は人生が楽しく、過去の経験がすべて今の活動の役に立っている…パパっとすべてのパズルのピースがハマった感覚です。この感覚に気がつけたのは一新塾に入って、6つの箱のワークを何度もし、過去の棚卸しをしたからです。このテーマは私の天命だ!といい切ることができます。一新塾に出会ってから、弱い自分を心から受け止め、その上で前に進む強さを身につけることができました。自治体の市長への政策提言や企業との連携も始まり、「産後うつゼロの社会の実現」のために突っ走っています。
行本充子 (一般社団法人 乳幼児子育てサポート協会代表・産前産後トータルケアネットワーク代表)

移動スーパーツナゴー まちまもり会社を栃木県で起業 佐藤豊彦 一新塾41期/合同会社繋ごう農村 代表
佐藤豊彦 一新塾41期/合同会社繋ごう農村代表

◎入塾前、製造会社社員(IT)
  →まちまもり会社を立ち上げ

技術系社員としてハードな生活をしていた時、休みの日はオートバイで日本各地を回っていました。田舎の景色に癒されてきましたが、ある時、美しい田んぼがあったところが竹林になり果てているのに気が付きました。その時、農村の衰退、高齢化による地方の存続危機を感じ、栃木県で消滅候補ナンバーワンと言われていた那珂川町がほおっておけないと思いました。目に入ったのが「社会起業」というキーワードを掲げていた一新塾。2017年に入塾しました。那珂川町からの通学は往復3時間。でも毎回、気付きがあり、面白かったので苦になりませんでした。始めは農業の支援で起業と思っていましたが、町を出ざるを得なくなる理由は生活の困難が原因ではないかと思うようになりました。何人もにヒアリングをしたところ、そういう方がたくさんいることがわかってきました。事業は「移動販売」「高齢者コミュ二ティづくり」「元気な高齢者の農業支援」の3つに軸に定めました。まずは「移動販売」からスタート。2019年、まちまもり会社として合同会社「繋ごう農村」を設立。廃校になった小学校の給食室をお借りすることが出来ました。目指すのは、高齢者が運転できなくとも安心して住める農村づくり。美しい風景があって、安心して、ずっと暮らせる社会です。
佐藤豊彦 (合同会社繋ごう農村代表)

腎臓病・透析に関わるすべての人の幸せのために 宿野部武志 一新塾25期/一般社団ピーペックCEO・社会福祉士・じんラボ所長
宿野部武志(一新塾25期 一般社団法人ピーペックCEO・社会福祉士)

◎入塾前は透析をしながら会社員、社会福祉士 → 腎臓病・透析に関わる人の幸せのために会社を設立

私は大学受験のタイミングで透析導入を告げられ、週3回、1回4時間を要する透析をしながら会社員生活を送っていました。 その中で「自分の人生のミッションとはいったい何なのか?」という問いが日増しに大きくなっていき、“自分のやるべきことは、自分と同じように病気で悩み苦しんでいる人達を助けることではないのか”と思うようになりました。 社会福祉士(ソーシャルワーカー)の国家資格を取得し、社会福祉協議会での相談業務・ボランティアコーディネーター等の現場経験をしている最中に一新塾へ入塾。2010年に「株式会社ペイシェントフッド」を起業。その後、「腎臓病・透析に関わるすべての人に幸せのために」をスローガンにしたポータルサイト「じんラボ」をつくりました。一新塾での自身の「根っこ」の徹底的な掘り起こしによって気付いた「想い」を「カタチ」にしたものです。今、透析施設や企業へのコンサルティング事業、講演・研修事業もご依頼いただけるようになったのも、一新塾でも学んだ「現場主義」の姿勢を貫いたからこそ。 これからも、患者の新しいあり方への挑戦をしていきたいと思っています。
宿野部武志(Webサイトじんラボ所長・一般社団法人ピーペックCEO・社会福祉士)

被災地のシングルマザーと子どものために 寝占理絵(第34期 NPO法人マザーリンク・ジャパン代表)
寝占理絵(第34期 NPO法人マザーリンク・ジャパン代表)

◎入塾前は、被災地でシングルマザー支援→ 一新塾で活動の根っこに立ち戻り、母だけでなく子どもの支援も展開

東日本大震災の前は会社を経営しビジネスの世界に生きてきましたが、私自身、シングルマザーという境遇の中、母親として社会情勢や家庭の事情で、子どもに充分なことをしてやれない辛さと、周囲の方からの支援に感謝する気持ちとの両方を経験しました。震災にあたり想いをはせたのは、被災しながら子育てをしていかなければならないお母さんたちのことでした。その気持ちのまま被災地に入り、『子どもの貧困対策』として、『ひとり親家庭』の支援を続けています。慣れない土地で支援を続けるには壁も多く、心が折れそうになる時期もありました。
そんな頃一新塾に入塾し、多くの仲間が自らの道を歩み始めるのを目の当たりにし、私自身も仲間に励まされ、新たに『被災地のシングルマザーが子どもと生き抜くための教育プログラム』を立ち上げました。今は被災地で震災後不登校になってしまった多くの子どもたちの再登校を支援する為にフリースクールを開設しています。支援を通して『助けられた子どもが助ける人になる」と実感しています。
寝占理絵(NPO法人マザーリンク・ジャパン代表)

障がいがあっても活き活き働き自立できる社会へ 中村淑代(34.36期/NPO法人くまもと障がい者就労支援ネットワーク代表 事業所名「らぷらんどカフェ」)
中村淑代(一新塾34期36期/NPO法人くまもと障がい者就労支援ネットワーク代表 らぷらんどカフェ)

◎入塾前は、障がい者就労支援のNPOでA型の事業所と放課後のデイサービス→(株)Nilseを立ち上げ新商品販売

私は40歳の時、友人の精神病がきっかけで福祉事業所を熊本で始めました。 NPOの立ち上げから3年目に情報も技術もなく思いだけが空回りする中、一新塾の門をたたきました。 一新塾に入ってチームを立ち上げ、東京のメンバーが熊本まで事業所の視察に来て下さり、私を100%認めてくださり、後押していただき勇気をいただきました。 私にとって一番大きかったのは問題解決フレームワーク6つの箱の学びです。自分がどんなビジョンに向かいたいのか何度も取り組む中で、私が支援したい事業所のSさんの状態「頑張り屋だけどなんでも事故や障害のせいにする」傾向が、自分とぴったりと重なる体験をしました。「地方で、女性で、障がいのある息子がいて、なにもできない」と思い込もうとしていた私に気がつきました。彼への励ましは自分への励ましだったのです。それから、ビジョンへの確信が生まれ、結果がどうであれ、精いっぱい挑戦しようと決め、躊躇なく行動できるようになりました。現在、障がい者が主体となって事業を運営し、収益をあげる仕組み作りに邁進しています。Sさんも事業所のみんなも信じられないくらい主体的になりました。事業所を手伝ってくれている母も一新塾で学び、夢を語り合っています。
中村淑代(NPO法人くまもと障がい者就労支援ネットワーク代表 事業所名「らぷらんどカフェ」)

療育は両育プロジェクト 重光 喬之(27・29期/NPO法人「両育わーるど」ファウンダー)
重光喬之(一新塾27・29期/NPO法人両育わーるど理事長)

◎入塾前は会社員→ 発達障害児の施設を支援で起業→見た目にわかりづらい難病の当事者のサービス立ち上げ

一SEとしてリーマンショックにより解雇されていく社員をみて、社会や組織に疑問を抱きつつもどこか他人事でいました。間もなく脳脊髄液減少症を患い、自らと向き合うなか、社員を大切にした社会起業をと、漠然とした思いで一新塾の門を叩きました。入塾後、学生の頃から続けていた発達障害児者との関わりが、”自分も人も嫌い”から”自分も人も好き”へと私を変えてくれたことに気が付きました。発達障害児者が生き生きしている社会では、人々が自ずと立場や価値観を超え相互理解できる社会が実現できると、彼らの関わりから私は実感しました。一新塾の仲間と「療育は両育プロジェクト」を立ち上げ、NPO法人化できました。メンバーや塾生との向き合いが、私に火をつけ、時に冷静な視点を与え、ビジョンが日に日にリアルなものとなっています。 2016年には脳脊髄液減少症患者向けのエピソード共有サービス「Feese」も立ち上げ、見た目にわかりづらい難病の当事者としてNHKハートネットTVにも出演。
2018年に当事者・支援者・企業らと「難病者の社会参加を考える研究会」を立ち上げ、①実態調査、②理解啓発、③就労モデル作り、④アドボカシー活動を行っています。2021年に難病者の社会参加白書(PDF版)を公開。難病者の社会参加白書づくりを基礎に、制度の狭間に置かれた難病者の就労を通じた社会参加の流れを創り出す活動をしています。

※第17回マニフェスト大賞(2022年)で「難病者の社会参加白書」を作成した活動が「グッドアイデア賞 優秀賞」。 難病者は、国内では現在およそ700万人存在すると言われおり、白書では、難病当事者と家族、企業と自治体へのアンケートを実施したほか、当事者のエピソードを盛り込み、難病者の多くが既存の制度の狭間に置かれたままになっている実態等を明らかに。これらの結果をもとに、新たなネットワークづくりや先進的活動に取り組んでいます。
重光喬之(NPO法人「両育わーるど」ファウンダー)

『障がい者の1人1人の自律を応援する』二階堂すみ子(38・40期 株式会社 夢のカタチ 代表取締役)
二階堂すみこ(一新塾38期40期/株式会社 夢のカタチ 代表)

◎入塾と同時に障害者のグループホーム起業→就労支援B型事業所も立上げ

前職で、私は障がい者の就労支援A型事業所の立ち上げを任されました。
就職に向けての訓練とメンタル的なサポートで、自信もなくうつむき加減の人も少しずつ自信を取り戻して、1年もすると本人の口から「1人暮らしをしたい」との言葉。そこで社長に障がい者の共同生活援助ホーム事業を提案しましたが運営が厳しいとのことでした。「それならば」と私の妹と二人で障害者のグループホームを2016年に千葉県東金市で起業。
直後に一新塾に入り、プロジェクトを立ち上げ、トコトン人生の深堀りをしたことで父親と自分の夢が重なりぶれない軸ができました。
何のためにこの事業を始めたのか?と常に自分に問い原点回帰。
障がい者の1人1人の自律を応援する仕組みとして、生活の場、就労の場、自己探求の場としてサービスを提供しています。
就労支援B型事業所も立上げ、冨里市にある農場で野菜作りも始めて、農福連携にも挑戦しています。
二階堂すみ子(株式会社 夢のカタチ 代表)

桐生にUターン!子どもを核にした地域づくり 星野麻実(一新塾27期29期 NPO法人キッズバレイ代表理事)
星野麻実(27・29期 NPO法人キッズバレイ代表理事)

◎入塾前は会社員→ 地域教育リーダー

群馬県桐生市で、「若者・子育て世代のくらしを支援して、地域経済を活性化すること」をミッションに、安心して子育てと仕事を両立してもらうため、「きりゅうアフタースクール事業」「起業支援事業」「コワーキングスペース事業」の3つの事業を柱に活動しています。
塾生時代、1年目はメンバーとして熊本県阿蘇のプロジェクトに関わりました。その中で、たくさんの刺激を受け、「自分ももっと活動してみたい!」と、桐生に帰り、自分のプロジェクトを始めました。
一歩踏み出してみると、たくさんの出会いがあり、考えも深まり、日々成長を実感しています。一新塾で出会った仲間とは、卒塾後も連絡をとりあっており具体的なコラボレーションも生まれています。
星野麻実(NPO法人キッズバレイ代表)

農業のソーシャルファームを目指して 佐藤好宣 一新塾32期(仙台) 株式会社MITU代表(自然農園)
佐藤好宣 一新塾32期 株式会社MITU代表 (自然農園)

◎入塾前は、言語聴覚士
→ 新規就農 
→農福連携

私は学生時代にボランティア活動で障がいのある子どもたちと出会ったことがきっかけで、リハビリ(言語聴覚士)の資格を取得し、病院や介護施設で働いてきました。 障がいのある方々やご家族と話すと「働きたくても働ける場がない」などの声に触れてきました。
実は、私自身、学生時代に交通事故に遭ったことがあります。交通事故からの数年間は、社会から孤立気味で、頭痛や吐き気、手足のしびれ等に悩まされている時、 外見は普通だったので、症状に悩まされても「精神的に病んでいるだけだ」等と理解されずに心身ともに疲弊していました。 ちょうどその時に、ふと「畑でもやってみよう」と、友人や家族と農作業をすることで、心身にとてもいい影響を与えてくれました。 疲弊していた心身も癒され社会復帰への一歩を踏み出せました。
その後、リハビリの仕事を始め、そこで病院を退院した後に行き場がなく引きこもりになってしまう人たちと出会い、かつて交通事故の後遺症で悩んでいた自分と重りました。 このような体験を通して、漠然とですが、「農業を通して就労の機会を設けたい」と思うようになりました。 実際に「農業をしてゆこう」と思ったきっかけは東日本大震災です。仙台市の沿岸部にあった自宅が流出し、すべてを失ってしまいました。 全文はこちら・・・

非大卒フリーターの逆転キャリアプロジェクト 飯田久美子 (42・44・46期 株式会社ハイアート代表)
飯田久美子(一新塾42・44.46期 株式会社ハイアート代表)

◎入塾前は、キャリアコンサルタントで起業
→ 高校生やフリーターを対象とした新規事業の立ち上げ

私は2007年28歳の時に人材紹介会社を起業。それまで、高校を卒業してから起業を目標にキャリアを積みました。 人材紹介業は「年収の高い人が良い求職者で、儲けるためには高学歴の大企業の出身者のサポートが優先」という常識。
その中でモヤモヤした思いを感じた為、2018年に一新塾に入塾し、高卒フリーターを対象とした『逆転キャリアプロジェクト』を立ち上げました。 「フリーターだって将来の日本のリーダーになれるし、フリーターからでも自由なキャリアが選択できる社会をつくりたい。」との思いでした。 対象者のインタビューや様々なイベントを経て、私は独自の長期的なキャリアサポート施策を形にすることができました。
2021年からは東京都教育庁のユースソーシャルワーカーとしても活動し、高校での就労支援にも携わっています。 今、自分の生きる意味と仕事がつながり、最高だと思える人生を歩んでいます。
飯田久美子 (株式会社ハイアート代表)

河内 智之 (一新塾27・31期/NPO法人未来をつかむスタディーズ代表)
河内智之(一新塾27期・31期/NPO法人未来をつかむスタディーズ 代表)

◎入塾前は予備校講師
→ 社会と繋がる教育NPO起業

銀行→青年海外協力隊→法律事務所→塾予備校と転々としてきた。
40歳「不惑」を目前にして、「自分が本当にやりたいことは何か」「自分は社会にどんな貢献ができるのか」それを突き詰めて、惑わず生きる道を決めたい。そんな想いで一新塾の門を叩いた。
入塾後、講師の話を聴き、塾生やスタッフと話す中で、自分と社会が交錯する課題は「教育」であることを確信。「生徒が自分らしく生きるための道しるべとなるような理想の学校を創りたい!」一新塾でのチーム活動が基になり、600コマ以上の授業を60の学校で実施した。
現在、NPO法人を設立し、日本の教育に貢献したい一心で活動中。
一新塾には「志を育む土壌」がある!
河内智之 (NPO法人未来をつかむスタディーズ代表)

「次の世代に持続可能な漁業・養殖業と豊かな海の環境を残す」
乗藤紘吏(一新塾44・46・48期/フィッシュ・アンド・プラネット(株)代表取締役)

◎入塾前は、越境ECの会社を起業
→ 地球環境を保全する会社を起業

私は岡山で父親の環境事業を見て育ちました。 大学とアメリカの大学院で環境経済・政策を研究し、環境問題の解決におけるビジネスセクターの役割に興味を持ち、将来ビジネスを通じて環境問題を解決する活動をしたいと考えていました。 就職はビジネスの経験を積むために、証券会社の投資銀行部門(東京とニューヨーク)で10年働き、日本企業が海外企業を買収するクロスボーダーM&A案件のアドバイザリー業務を行いました。 その後、2016年に元同僚と越境EC(電子商取引)の会社を起業し、日本ならではの商品を海外に売る事業を軌道に乗せました。 2018年には妻の家業で、江戸時代に鮮魚屋として創業し、その後天ぷら屋を営んできた老舗天ぷら屋「銀座大新」の七代目として取締役にもなりました。

そんな時に、一新塾の説明会に参加し、「自分は事業のビジョンは考えているけれど一市民として乗藤紘吏の志についてはほとんど考えていない」と気が付きました。 一新塾では「理想の社会ビジョン」「自分でなければならない理由」を掘り下げるワークを基に「自分のミッションでプロジェクトを立ち上げる」経験もしました。 全文はこちら・・・
乗藤紘吏(フィッシュ・アンド・プラネット(株)代表取締役)

渋谷エールカフェ~誰もが自分らしい働き方を創れる社会、ひきこもり支援
一新塾卒塾生 久保亘

◎入塾前は、会社員
→ コンサルティング会社起業+市民活動

外資系IT企業を渡り歩いてきましたが、私は高校卒業時に2年間ひきこもりを経験しています。大工の棟梁の跡取り息子として育ち、職業選択の自由が無いような切迫感。そこからの逃避。そんな時、近所の八百屋の店主から「市場に一緒にいかないか」と誘われ、気持ちが変わり、大学進学を決意。IT企業に就職。セカンドキャリアを考えた時に「誰もが自分らしい働き方を創れる社会」を創りたいと一新塾に入塾しました。

日本の引きこもり状態にある人は100万人超え。地元の渋谷から、過去の自分と同じような境遇の人を応援しようと一新塾でプロジェクトを立ち上げ、仲間と共に「渋谷エールカフェ」を開催し始めました。経営者等と職場で過ごす「ジョブシャドウイング」、社会参加の機会「ショートタイムジョブ」等、社会と繋がり才能を発揮するきっかけ作りをしています。

久保亘(一般社団法人Vielfalt (フィールファルト)代表) 

障害があっても、夢や希望を持って、人として成長し続けられる人生を送れる社会を創る
一新塾卒塾生 前川哲弥

◎入塾前は、運輸会社経営者
+福祉で起業

私は、17年の公務員生活(農水省、OECD)の後、家業の運輸会社を継承しました。知的障害のある長男(当時中2)の将来を案じ、一新塾入塾(2017年)しました。私亡き後の息子を案じたからです。
息子のような困難を持つ方々が、生きがい面&経済面で幸せに生きることができる社会にしたいとの思いで、社会起業を目指すこととしました。

一新塾では、障がい当事者が夢を育て主体的に生きれる社会を目指し「ユメソダテproject」を立上げました。 再婚した妻の「傾聴」によって息子が成長を始めた経験を下に、2018年9月「NPO法人ユメソダテ」を設立し、一人ひとりの人生を「傾聴」するなかで「ユメのタネ」を見つけ、夢育て伴走をしました。 全文はこちら・・・

吉見精二(一新塾25期 有限会社地域観光プロデュースセンター代表取締役)
吉見精二(一新塾25期大阪地域科 有限会社地域観光プロデュース代表取締役)

◎入塾前は、早期退職して起業
→「着地型観光」のモデル事業立ち上げ

私は、55歳でJTBを早期退職しました。ある観光セミナーで衝撃を受け、地域が主役の新しい"感幸・歓交"の仕掛人として地域をコーディネートする会社を起業、「地域をまとめ、外とつなげる」活動をしてきました。「功あって益なし」の事業に「フー・アー・ユー(Who are you?)」(あんた何者やね。怪しいな?)と自問自答しているとき、"一新塾のメルマガ"に誘われ説明会に参加しました。終わりには「この説明会、1万円の値打ちアリ!」とみんなに語りかけ直ぐに大阪地域科に入塾を決意しました。

どこを探してもない"一新塾のスゴさ"は集まってくる人たちです。思いをどうカタチに変えようか?、誰も言い出さないことをやろう!としている人がいること。私も、仲間のメンター力を浴びて"解体新処"させてもらい新しい発想で再スタートすることが出来ました。自分を棚卸し、マネジメントし直すには、多彩な人材の集まりの中で自分の能力を再発見する。その舞台こそ、一新塾です。
※一新塾メールマガジン活動レポート

地方だからこそ、「日本の新しい豊かさ」を見出す可能性  笹本貴之  一新塾6期/笹本環境オフィス代表
笹本貴之一新塾6期/笹本環境オフィス代表

◎入塾前、会社員
  → ワインツーリズム立ち上げ
  →ペレットストーブ事業立ち上げ
    + シェアオフィス運営

多くの地方出身者は、田舎を捨てて都会で自己実現を試みている。
ただ、自分や家族の幸せとか、物質的な豊かさとかに偏る都会での生活に、欠乏間を抱いている人は多い。まさにその一人だった私は、一新塾で「地方の可能性」を知り、卒塾の翌年に帰郷した。
しかし、故郷・山梨で見えてきたのは、都会の価値観を追っているという実態だった。未だに、政府の地方創生の掛け声のもと、地域間で人やお金の奪い合いをしている。人口が確実に減っていく将来に向けて、相変わらず独り勝ちを企むのか?それよりも地方が一体になって既存財産を有効に活用して人間関係を深めることが重要ではないのか?もう多くを望めない地方だからこそ、「日本の新しい豊かさ」を見出す可能性がある。私はワイン産地を活用した「ワインツーリズム」運動や、森林資源を活用したペレットストーブ事業を通じてそう確信した。
一新塾で共に学び、日本の価値観を塗り替えたいと思っている。
笹本貴之 (笹本環境オフィス代表)

脱サラして『病児保育』で起業!賀川祐二(かがわゆうじ)NPO法人病児保育を作る会代表理事
賀川裕二(一新塾15・17期/NPO法人病時保育を作る会代表理事)

◎入塾前は、会社員 → 病児保育で起業

会社を辞める時、「自分が困った病児保育事業をしたい」とは考えていたものの仲間はいませんでした。 最初の一歩は一新塾。共感しあえる、医師や保育士、行政家等多くの専門家と知り合え、意見交換をしたり、関係者の紹介を受けながら少しずつ進んできました。今は、プロジェクトメンバーや保育スタッフ合わせて多くの方と事業をしています。 一新塾は、一人でもやりきる気持ちを持ちながら、強くシンプルなメッセージを発すれば必ず共感する方が現われ、仲間になってくれます。ぜひ。皆さんも仲間を得るために一新塾に参加してください。本当に多様な方々がいて、事業の協力者が得られます。
賀川祐二(NPO法人病児保育を作る会代表理事)

FM+SNS 笑顔倍増プロジェクト 佐藤 勝(36期/「渋谷のラジオ」ファウンダー・チーフプロデューサー)
佐藤 勝(一新塾36期/「渋谷のラジオ」ファウンダー・チーフプロデューサー)

◎入塾前は不動産会社経営・ミツバチPJで渋谷緑化活動 → 「渋谷のラジオ」運営

私は渋谷の町が大好きです。しかし渋谷で不動産業を営む中、10年以上前から空調機が効かないクレームが急増。ヒートアイランド問題です。
「このままでは孫に申し訳ない。なんとかしたい。渋谷を守りたい」と2011年から渋谷みつばちプロジェクトを開始。2013年には「SHIBUYA-FM」の閉局を知り、自ら代表になり再生活動もはじめた。東京オリンピックまでにヒートアイランド問題解決を目指して一新塾に入塾。多様な方と出会い学びあう中で「自分がすべてやるのではなく市民・企業・行政の力を合わせられる仕組みづくりをしてゆこう」とミッションが定まりました。
2016年4月「渋谷のラジオ」本放送を箭内道彦氏、福山雅治氏等の協力を得て開始し、木曜のパーソナリティーは「ヒートアイランド改善」をテーマに私が担当中です。一新塾の仲間もラジオ出演多数。
佐藤勝(「渋谷のラジオ」ファウンダー・チーフプロデューサー)

患者を、家族、医療関係者、みんなで支えたい 木暮 裕 (一新塾26期/医師,「いきがい訪問診療所」院長)
小暮裕(一新塾26期/医師)

◎入塾前は病院の医師 → 「生きがい訪問診療所」開業(在宅医療)

「世の中のために自分に何ができるのか」を探しに一新塾に入りました。講師や仲間との対話を通して、本当にやりたい事、自分とは何者なのかを深く掘り下げられました。そして"自助カルテ"という患者と医者のコミュニケーションノートを考案したり(宮城県の被災地でも活用されています)、セミナーを開催したり、組織を立ち上げたり、沢山の経験をし、多くのことに気づかせてもらいました。その結果、自分が救うべき患者達に気がつき、自分のPJの必然性とみんなの幸せのために自分がいることに気がつきました。あなたの人生を生きるきっかけになる場だと思います。
木暮裕 (医師,「いきがい訪問診療所」院長)

強みを活かし『生き活き元気塾』で起業 本多慶吉(一新塾15・17期/NPO法人生き活き元気塾代表理事)
本多慶吉(一新塾15・17期/NPO法人生き活き元気塾代表理事)

◎入塾前はインストラクター
→ 認知症予防の体操で起業


私の起業を決意したきっかけは、スポーツクラブをやめた後、認知症高齢者の介護現場に携わった経験です。その現場はとてもショッキングなものでした。ある家庭に訪問した時に、ご家族の方がドアから出てくるやいなや私の手を握り締めて「どうしたらいいかわからないんです!助けて下さい」こう叫びました。このような介護する人、介護される人をこれ以上増やしてダメだという強い念にかられ、起業を決意し一新塾に入塾。プロジェクトを立ち上げ、仲間の支援を得て2006年にNPO法人生き活き元気塾を設立。高齢者に、介護・看護されない活力ある人生を過ごしてもらうために、元気で楽しく、健康で長生きの出来る地域社会の実現に邁進しています。
本多慶吉(NPO法人生き活き元気塾代表理事)

平川浩之(一新塾36期/株式会社 Ring Link 代表)
平川浩之(一新塾36期/株式会社 Ring Link 代表)

◎入塾前は会社員→ 長野でコミュニティーハウス + コミュニティカフェ経営

主人公が余命半年を宣告される実話の映画を観て「世の中に役立つ仕事」で起業を決意。具体的な起業準備のため、一新塾に入塾しました。
一新塾に入り、ミッション・ビジョン・プランを研ぎ澄ませ、24年勤めた会社を退社。チーム活動では永続可能な社会を目指して「理想のコミュニティー」づくりの前段階としてのシェアハウス事業を開始するため共に現場視察にまいりました。そして、3大貢献活動を「自然栽培の普及」「森林再生」「子育て支援」と定め、長野県原村の不動産を購入、2016年1月に原村に移り住み、3月からシェアハウスの一部入居開始。メンバーの塾生も東京の仕事を辞めて私のシェアハウスに入居、すぐに希望の仕事も決まりました。今後さらにこの理念に賛同してくださる方に入居していただき、社会貢献度の高い事業を生み出し、100人規模のコミュニティハウス事業を拡散してゆきたいと思っています。
平川浩之(株式会社 Ring Link 代表)

自分の志のルーツは人のつながり 大島哲也(一新塾19期/irori代表・禁煙サルサ運営委員・NGO支援隊代表)
大島哲也(一新塾19・21・23・29期/irori代表・禁煙サルサ運営委員・NGO支援隊代表)

◎入塾前は会社員
→ シェアハウス + 禁煙サルサで 起業

私は新宿でシェアハウスを経営しながら禁煙環境でのサルサダンスイベント「禁煙サルサ」を行っています。一新塾に入塾したばかりはぼんやりしていた自分の志を森嶋さんをはじめ塾生のみなさんと想いをぶつけ合い、明確化していき、自分の志のルーツが「人のつながりによって課題を解決し参加者の自己実現の助けになるような場をつくること」であることに気づかされました。そこで一新塾内のチーム活動として始めたのが食べることから始まるコミュニティづくりiroriです。このように一新塾は既存の教育機関のように"正解"を一方的に押付けるのではなく、塾生一人ひとりの志の"根っこ"を掘り出し、各人が志に基づいた活動を最大限できる貴重な場であると私は確信しています。
大島哲也(irori代表・禁煙サルサ運営委員・NGO支援隊代表)

笹淵 恭子 (一新塾25期/「いぬゐ郷」代表)
笹渕恭子(一新塾25期/『コミュニティテラスいぬゐ』代表)

◎入塾前は音楽研究者→ 地域再生のため食と農で起業

1968年フランス政府給費留学生としてパリ大学留学。その後、日本の大学への就職を辞退し、日本とパリで研究生活のみの半生を送りました。1990年代に家族の看病、介護で旧幕張地区へ。地域のボランティアに携わってきました。 西洋音楽の歴史で起こったことが日本社会にもそのまま当てはまるとの考えに至り、2009年、一人暮らしの高齢者の増加、出来合いの食事、耕作放棄地の問題解決に向けた地域コミュニティを住民の手で創り上げる動きを起こしたいと、一新塾に入塾しました。そして、世代を超えた仲間のサポートも得て、自宅を開放して、『コミュニティテラス<いぬゐ>』を立ち上げ、小さな一歩を踏み出すことが出来ました。現在の団体名はいぬゐ郷です。笹淵恭子 (「いぬゐ郷」代表)

ロハスで新しい社会を創造する 大和田順子(一新塾9・21期/『アグリ・コミュニティビジネス』著者・サステナブルコミュニティ・プロデューサー)
大和田順子(一新塾9・21期/ロハスビジネス著者)

◎入塾前は、会社員
→ LOHASを伝えるビジネスで起業

"人・地域社会・地球を健康にする"ロハスという新しい考え方を取り入れたビジネスの輪を広げたいと考え、07年7月に「ロハス・ビジネス・アライアンス(LBA)」という団体を設立しました。ビジネスを通じて社会の変革を目指すビジネスコミュニティです。そして、さらにこの考え方を政策提言や地域活性化につなげていきたく一新塾に再び参加しました。一新塾では、コーズ・リレィテッド・マーケティング(CRM)をテーマとしたプロジェに参画。世代もバックグラウンドも様々な方たちとの議論や行動はインスパイアーされることが多く、こうしたダイバーシティ(多様性)から、新しい社会は生まれるのだと実感しています。
大和田順子(『アグリ・コミュニティビジネス』著者)

クルマ社会の次の時代を創る 阿部等(一新塾4・5期/株式会社ライトレール代表取締役社長)
阿部等(一新塾4・5期/㈱ライトレール代表取締役社長)

◎入塾前は会社員→交通問題のコンサルタントで起業

「排ガスを撒き散らし、たくさんの交通事故を起こすクルマが、世の中で使われ過ぎている」「鉄道をもっと合理的に運行すれば、はるかに便利にできる」私が小学校の頃から40 年間抱き続けた思いです。大学・大学院と交通計画を専門に学んでJR 東日本に入社した後、様々な刺激・知識・出会いを得たいと一新塾の門を叩いたのは平成10 年。そこでの出会いが、起業という選択肢への気づきとなりました。平成17 年、将来は鉄道会社を興すことも念頭に( 株)ライトレールを起業!「人々の生活利便性や幸福を犠牲にすることなく様々な交通問題を解決し社会に貢献する」をミッションに日々奮闘しています。
阿部等(株式会社ライトレール代表取締役社長)

黒田 忠晃 (一新塾23期/「La C Lo」代表・NPO法人親育ネットワーク代表)
黒田忠晃(一新塾23期名古屋地域科/数学コーチングスクール代表 )

◎入塾前は会社員→ 新しいスタイルの学習塾起業・親育ネットワークも設立

通信キャリアで社会人経験後、「先生になりたい」という夢を実現すべく、学習塾へ転職。指導に全力を注ぎましたが、業界と自分の教育観とのずれに違和感を感じ退職。よりよい教育とは何か、これからの時代に何が必要なのかを追求しようと模索していたところに、一新塾との出会いがありました。
すべての講義、合宿、現場視察に参加する中で「主体的に行動すること」、「現場主義の重要性」を学び、様々な世代・業種の方々との交流を通じて、自分の視野・思考に変革を起こした、大きな転換期となりました。今、理想の教育を追求する場「La C Lo(ラクロ)」を自ら立ち上げ、考えに賛同してくださった保護者や子どもたち、一新塾の仲間などたくさんの人たちと協力しながら、主体的市民として、日々奮闘しています。
2015年には、NPO法人親育ネットワークを設立しました。
黒田忠晃 (「La C Lo」代表・NPO法人親育ネットワーク代表)

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議員へ転身!

千葉から日本を変える 熊谷俊人(千葉県知事・前千葉市長)
熊谷俊人(一新塾18期/千葉県知事・前千葉市長)

◎入塾前は、会社員
→市議会議員→市長→県知事

一新塾の思い出は、やはり「行動」です。小さなことでも馬鹿げたことでも、まずやってみるという精神が一新塾の精神だと思います。私自身もそこで殻を破られたような気がしています。自分たちのことは自分たちで決める。自分たちのことは自分たちが責任をとる。これが私は民主主義の根幹であると思います。地方分権の時代にあって最終的にこの国の活力を決めるのは、基礎自治体であり、また自分たちの目の前のコミュニティが元気であるどうかだと思います。多くの議論と行動をもって、この国を大きく一緒に変えてゆきましょう。
熊谷俊人(千葉県知事・前千葉市長)

人生一度きり、力強く生きよう! 久保田后子 6期 前宇部市長
久保田后子(一新塾6期/前宇部市長)

◎入塾前は、主婦 →市議会議員→県議会議員→市長

生まれも育ちも東京ですが、1990年に夫の故郷の宇部市にIターンしました。ゼロからの出発だから自分で切り拓くしかないと、子どもを連れて地域に飛び込みました。「保育園のおやつを添加物のないものに」など素朴な思いを発信するうち、草の根の活動から市議会議員として政治の世界に。「台所の声を届けます。」という、食をあずかるところから見える地域課題。住民の声を聴き、住民参加のまちづくりが原点です。
県議を経て、山口県初の女性市長となり、”市民と語る・考える・動く”を基本姿勢に、奮闘。人生は一度きり、多くの人がチャレンジしていくことがまちを変え、日本を変えると思います。皆さんの志のが花開きますように!
久保田后子 (前宇部市長)

自立した市民によって新しい金沢を切り拓く 山野之義 前金沢市長
山野之義(一新塾17期/前金沢市長)

◎入塾時は、市議会議員 →市長

市議会議員になった時、私は自分に2 つのノルマを課しました。一つは自分がトップだったらどんな判断・決断をするかを常に意識しようということ。もう一つは、2~3か月に1回はあえて金沢の外に出ること。一新塾にいろんな思いをもった方の中に入って自分に刺激を与えたいとの思いで入塾しました。石川県の一新塾生と交流する機会も得ました。
2010 年12月より3期11年金沢市長として、これまでの金沢の個性をしっかり守りながら、自立した市民=市民ブレインとの協働を進めることで、新しい金沢を拓くべく邁進しました。
山野之義(前金沢市長)

主体的市民の輪を広げる 秋山浩保(16期/前柏市長)
秋山浩保(一新塾16期/前柏市長)

◎入塾前は、会社役員 →市長

2005年に入塾しました。当時は仕事との両立は大変でしたが、「6つの箱」を何度も書き換えることで問題意識の輪郭がはっきりしてきました。私は主体的市民が広がらないと社会はよくならないと思います。主体的市民の活動には、いろいろな形があり、その一つ一つがどれも尊いものです。いろんなところで壁にぶつかると思います。でも、めげないで、焦らないで、諦めずにみんなが励まし合って、そして正しいことやっているという信念のもとに、ぶれずに主体的市民の輪を皆さん自身で広げていただきたいと思います。ともに頑張っていきましょう。
秋山浩保(前柏市長)

全国最年少首長として現場主義を実践 武広勇平(一新塾14期/上峰町長)
武広勇平 (一新塾14期生/上峰町長)

◎入塾前は、大学生 →議員秘書→町長

2009年3月、29歳で佐賀県上峰町の町長になりました。私も大学生の時、一新塾第14期で学びました。一新塾で学んだ「現場主義」で上峰町政改革を進めています。
町長になった頃は、自治体は財政難で、新しい事業等がなかなか出来ず、「絵」を示していくことが出来ない環境にありましたが、卒塾して久しぶりに一新塾に訪れた時に、「お金がなくても発信できるんだ、モデルを創れるんだ!1800ある自治体の中でオンリーワンのモデルを目指していこう」という決意を語りましたが、その思いで上峰町変革に打ち込んできました。
条例の制定や、ふるさと納税の活用で、財政は大幅に改善し、町は変わってきました。住民一人ひとりのニーズをしっかり受け止めて、新しい事業も多方面に進めています。
これからも、皆さんと協働しながら、一生懸命、新しいまちづくりを進めていきたいと思っています。
武広勇平(上峰町長)

壁のない豊明市を市民一丸で実現する 小浮正典(一新塾30期/豊明市長)
小浮正典(一新塾30期/豊明市長)

◎入塾前は、記者 → 副市長→ 市長

皆さんにひとこと言いたいのは、もがいた方がいいです。自分の人生、何回も転職しているし、当然ながら、その過程では、よいときもあったし、悪かったときもあったんです。よかった時は楽しかった時。でも楽しかった時というのは思い出せないです。もがいていた時は鮮明に覚えています。でも間違いなくもがいていた時に成長しているんですね。
私が究極に目指す社会は「壁のない社会」「壁のない豊明」です。すべての豊明市民が心身のハンディキャップや年齢や性別や国籍の壁を超えて生き生きと幸せに暮らせる豊明を実現したいと思っています。一緒にもがいてこの国をみんなで変えていきましょう。
小浮正典(豊明市長)

未来への投資 20年後の枚方のために 伏見隆(一新塾7期/枚方市長)
伏見隆(一新塾7期/枚方市長)

◎入塾前は、会社員 → 議員→ 市長

サラリーマン時代に一新塾に入塾しました。塾で学び多くの同志と出会う中で「政治家とのつながりもなく、政治家に物申すことの思いが強くなり、脱サラして故郷の枚方へ戻り、2003年に枚方市議会議員になりました。枚方市議として8年、大阪府議会議員として4年、そして2015年8月に特に20歳から40歳代のの転出が多いことに危機感を抱き、枚方市長に立候補して初当選しました。
私の「根っこ力」はきっと「絶体負けないぞ」という自分の中にある粘り強さだと思います。私は今、枚方市長として「未来を拓くために20年、30年先を見据えたビジョンを!」との思いで日々挑戦しています。
伏見隆(枚方市長)

小金井市オンリーワンな地域の好循環の仕組みづくり 白井亨 (一新塾30期 小金井市長・元小金井市議会議員)
白井亨(一新塾30期 小金井市議会議員)

◎入塾前は、会社員
    → 市議会議員
→ 市長

私は2012年に30期生として一新塾に入塾しました。 当時、第一子が2歳半ばで「孤育て」に苦しむ妻の姿がありました。偶然転勤で住むことになった小金井市。 知人もおらず、子育てをするにもリアルかつ良質な情報もなく、妻は慣れない子育てで塞ぎ込んでしまい、「孤育て」になっていたのです。 一新塾では、自分のミッションで「子育てシェア」プロジェクトを立ち上げ、自分の住む小金井市を現場で活動を始めました。 平日の日中の妻を助ける仕組みをつくれないかと思ったからです。 その活動を通して、またこの町の課題とポテンシャルを感じたことから「小金井市オンリーワンな地域の好循環の仕組みをつくりたい」と思い、政治の世界に挑戦することにしました。  全文はこちら・・・

誇りを持って未来世代に引き継ぐことのできるまちづくりを  小澤晃広 一新塾27期 川西町長
小澤晃広(一新塾27期/川西町長)

◎入塾前は、会社員 → 町長

私は奈良の小さな町で育ち、地域で支え合うコミュニティーの中で街に貢献している大人が格好いいと感じながら育ちました。小学校から高校までは奈良の学校でしたが、大学は東京の早稲田大学へ行き、2005年に千葉や埼玉でマンションや一戸建てを分譲するデベロッパーの会社に入りました。仕事はとてもやりがいがありましたが、奈良のまちづくりに関わりたいという思いがずっとありました。
2010年に「社会に貢献してゆく人生を歩んでいきたい。自分軸の方向性を定めたい」と思い、一新塾27期東京本科に入塾。一新塾では、起業家や政治家の話を聞いて学びながら様々なワークシートに取り組みました。東京にいながらできること、奈良に帰ってできることを、政治、事業の2つの側面からみて、考えを深めることができ、仲間も沢山できました。
2021年「このままでは、地元、川西町の未来が危ない」という危機感から奈良に帰り、川西町長に立候補し当選させていただきました。「あきらめ」を「ワクワク」へ、「受け身」から「自発」へ、「前例主義」から「未来志向」へ、スピード感をもってまちづくりを進めていこうと思います。
小澤晃広(川西町長)

畑の上から農業政策を提案 藤本好彦(20期/百姓・山梨県議会議員)
藤本好彦 一新塾20期 山梨県議会議員

◎入塾前は、農家と農業高校教師
 → 市議会議員 → 県議会議員

「全国から本気の者が集い、周りを本気にさせる場」それが一新塾です。「農」を土台としたまちをつくりたい。その思いを胸に入塾しました。今日一日「本気」になること、そうすれば「想い」は必ず「共有」され、「形」になる。
仲間とチームを立ち上げ、NPO法人化し、どんどん「ほったらかし畑」に足を運んでもらい、種を蒔いていきます。
卒塾後に南アルプス市議会議員へ立候補し初当選させていただきました。畑の上から農業政策を提案していきます。百姓として政治家として、「心」の豊かさを感じられる、「農」を土台とした地域の文化と風土を、次の世代につなげたいのです。そのために、今日一日、「本気」で行動しています。藤本好彦(百姓・山梨県議会議員)

石川亮 一新塾32期 千葉県議会議員
石川亮 船橋市議会議員 一新塾卒塾生

◎入塾前は、外交官
 → 市議会議員 → 県議会議員

私は、大学を卒業して約10年間、ケニア、フィリピン、イギリス、南スーダンなどで国際協力の仕事をしてきました。 第一歩は、青年海外協力隊の村落開発普及員としてのケニアでの村おこし事業。ケニアの光景には、幼少時代に見た団地の風景が重なりました。 海外から帰って、自分が一生をかけてでも“ このために働きたい”と思えるものは何なのかと自問自答した時に見えたものが、思い出溢れる故郷でした。 幼少から憧れていた政治家ってどうかなと思っていた私は、一新塾に入塾。

塾では自分のミッションでプロジェクトを立ち上げることができると知り、生まれ育った場所で「生き生き&仲良し芝山団地プロジェクト」を立ち上げました。 全文はこちら・・・・・
石川亮(千葉県議会議員)

地元函館のために働きたい 荒木明美(一新塾24期/函館市議会議員・はばたきの会代表・(株)ILikeIT代表)
荒木明美(一新塾24期 函館市議会議員)

◎入塾前は、会社員 → Uターン
  → 起業 + 市議会議員

東京で一会社員だった私が、地元函館のために働きたいと思ったのが8年前。自分の頭だけでは堂々めぐりになり、一新塾の門を叩きました。講義に共通する大義に感動し、人生の方向転換をする覚悟も決まり、函館へUターン。
2015年4月、無所属市民派として市議に初当選。市民活動(女性の自己実現の支援他)、経済活動(エゾシカ革製品の製作販売)、に政治活動も加わり、函館が生き残るまちになるよう三方向から活動中です。
一新塾では、人生の師となる講師とも出会えました。今後も自分が迷った時に立ち戻る場です。皆さんも、まずは一歩踏み出してください。
荒木明美(函館市議会議員・はばたきの会代表・(株)ILikeIT代表)

オムソーリプロジェクト 齋藤哲 27・32・34期 オムソーリプロジェクト代表・浦安市議会議員
齋藤哲(浦安市議会議員・オムソーリプロジェクト代表)

◎入塾前は、会社員
  → 市民活動 + 市議会議員

32歳の時、父親が前頭側頭型認知症と診断され、「進行を止めたり治したりする治療法はまだありません。」との一文に絶望。そんな絶望の最中に飛び込んできた一新塾からの塾生案内メールに「自分を救う道はここしかない」そう直感し、27期で通っていた一新塾に32期(2013年5月)で再入塾しました。
一新塾で仲間とプロジェクトを立ち上げ、認知症について学び始めました。 当時1ケ所しかない目黒区の認知症カフェに現場視察に行き、自分も気持ちが楽になる経験をしました。そこで、「自分が住む浦安市にも」と古民家を借りて浦安市で初の認知症カフェをスタート。名称は「オムソーリカフェ」。「オムソーリ」とはスウェーデン語で「悲しみの分かち合い」を意味する言葉です。後に浦安市議会議員になり、プロジェクトも発展させています。

※住民主体の「認知症政策」を実現する自治体独自の条例(浦安市 認知症条例)の制定を実現したことで、個人で2022年の第17回マニフェスト大賞 成果賞「優秀賞」に。認知症本人の参加とマルチステークホルダーの連携の実現。医療系コンサルティングや認知症当事者らで構成された認知症条例比較研究会に参加し、11の先行自治体を研究。議会で条例制定を提案し、「浦安市認知症とともに生きる基本条例」へと繋げる。
全国自治体で条例検討が進めることを視野に、認知症本人や民間事業者等の多様なステークホルダーの制定過程での参加と、条例制定プロセスの公開を求め続け、これを実現。
斉藤哲 (オムソーリプロジェクト代表・浦安市議会議員)

「やちよ未来エネルギー」高山敏朗(一新塾40期・八千代市議会議員・一般社団法人やちよ未来エネルギー代表理事)
高山敏朗(一新塾40期・八千代市議会議員・一般社団法人やちよ未来エネルギー代表理事)

◎会社員から市議会議員→一新塾入塾
再生エネルギーで社会起業

千葉県八千代市に暮らし始めたのは2000年頃からでした。私は1971年生まれで早稲田の理工卒、NTTデータでシステムエンジニア、プロジェクトマネージャーとして働き、妻と子供がいる普通のサラリーマンでした。 2011年の東日本大震災の後、放射能の問題が浮上、子どもを守らなければと切実に思うようになり、政治に関わることを決意。 2015年1月から八千代市議会議員になりました。 地域では「放射能から子どもを守る会@やちよ」で子どもたちへの甲状腺検診を定期開催、「やちよ自然エネルギー市民協議会」や防犯防災隊などの活動に参加。 この土地で子どもを守りながら生きると決めたので、できることは様々やってきました。

そして2017年5月には一新塾入塾。「徹底して市民の声を聞く基盤作り」をするために、自分のミッションを研ぎ澄ませた活動を生み出したいと思っての事でした。 一新塾では、同期の仲間と「コドモ・ミライプロジェクト」を立ち上げました。  全文はこちら・・・
高山としあき(八千代市議会議員・一社)やちよ未来エネルギー代表)  

働く世代のワークライフバランスを実現へ 鈴木あやこ(一新塾19期 江東区議会議員)
鈴木あやこ(一新塾19期 江東区議会議員)

◎入塾前は、会社員 → 区議会議員

私は就職氷河期の1997年にNTTドコモに入社して営業職につきました。 そこで、職場の女性の先輩たちがキャリアか家庭かの二者択一をせざるをえない現実を目の当たりにしました。 社内ではダイバーシティーに関するワーキンググループに参加していましが、「企業だけでなく、社会を変えなければ」と感じました。
20代後半に結婚し、江東区の豊洲にマンションを購入し、暮らし始めてからまちづくりにも関心を持ち始めました。 当時は豊洲には新しいマンションや商業施設が次々にでき、ワクワクする時代。 興味を持った私は、江東区の基本構想考える未来会議などに参加しました。地域の有力者の方が多く参加されており、そこに新しく住み始めた新住民の声を行政に届けることで、さらに住民目線のまちづくりを実現できると私は感じました。

そして、2006年11月、一新塾第19期に入塾。 3ケ月後にはプロジェクト活動を立ち上げ、一新塾の仲間がメンバーになってくれました。江東区を現場として、平日の夜や土日をつかって「おとなとこどもの地域のかたりば」のプロジェクトがスタート。   全文はこちら・・・
鈴木あやこ(江東区議会議員)

政治の仕事は社会の仕組みを変えること 佐藤信成(一新塾25期 鹿嶋市議会議員 )
佐藤信成(一新塾25期 鹿嶋市議会議員 )

◎入塾前は、会社員 → 市議会議員

一新塾には、熊谷俊人氏が千葉市長に初当選した記事を読んで、経歴に「一新塾」があったので、入塾しました。 一新塾の25期の同期はその流れで国会議員や地方議員になる人が多い期でした。
鹿嶋市から一新塾まで2時間半かかるのですが、本科で入塾して、毎回楽しみに通いました。 ここに来ると普段仕事では聞けない、質問の着眼点や議論の見識など勉強になりました。 議員になってからもいろいろな勉強会に行きますが、どこに行っても、必ず一新塾のOBの方がいらっしゃることに驚かされました。

一新塾では、仲間が立ち上げた「子ども未来塾」プロジェクトのメンバーになりました。 自分自身でもプロジェクトを立ち上げ、キャリアカウンセラーの勉強をしながら、  全文はこちら・・・
佐藤信成(鹿嶋市議会議員)

専業主婦から議員への挑戦 野村諒子 一新塾30期 三島市議会議員
野村諒子(一新塾30期 三島市議会議員)

◎入塾前は、主婦→市議会議員

一新塾入塾→コミュニティスペース開設

大学卒業後、自閉症の子どもの専属保母として障害児教育に関わりました。 28歳の時、未熟児でやっと育った次男を、安全マークのおもちゃの事故で亡くし、それまで、それほど大きな苦労もなかった人生が大きく崩れていく経験をしました。  周囲(家族)の無理解、非難の目から、自分自身で解決しなければならないことを感じ、次の犠牲者を出さない為に、製造元に対して声を上げ、その結果、乳児用のおしゃぶりの大きさの基準が出来ました。当事者が声を上げる重要性を感じ、同時に声を上げる事で社会は動くことも知りました。
その後、3人の子育てをしてきたものの、子育てへの自信のなさから、どうしても過干渉の子育てになっていました。 末の息子が小学生の時「僕の人生は僕が決める、お母さんじゃない!」という一言で目が覚め、その後の私自身の人生をどう生きるか考える様になりました。 47歳の時、結婚以来22年間の子どもの為、夫の為という専業主婦からもう一度、自分自身がしたいこと、学びたいことと向き合い、 「60歳になっても打ち込めるものを身につけよう」と決心しました。  全文はこちら・・・
野村諒子(三島市議会議員)

自分たちのまちは自分たちで創っていくんだ  一新塾13期 尾崎まさてる 豊橋市議会議員
尾崎まさてる(一新塾13期 豊橋市議会議員)

◎入塾前は、東京の大学生
ふるさとに戻る→公務員→ 市議会議員

私は1981年生まれ、豊橋市の小学校、中学校を卒業し、愛知県の高校時代に米国アラスカ州に交換留学を1年間体験しました。 高校を卒業後、上智大学比較文化学部に入学しました。 せっかく東京に出てきたので、大学3年の時(2003年11月)に一新塾に入りました。
一新塾では、幅広い世代の方に出会い、社会変革の一線で奮闘する講師の話を聞きながら、政策提言の方法を勉強しました。
「政治や社会の問題に対して何が出来ないだろうか?」一新塾では、具体的に解決方法を探し、行動して行くことが求められました。 そこで、大学3年生の私は「若者の選挙率アップ」をテーマにプロジェクトを立上げて、参議院選挙に向けての公開討論会を開催しました。 さらに、当時(2004年9月)一新塾に講師として来られた犬山市長に、政治特区の政策提言もしました。選挙権年齢を16歳へ引き下げ、同時に、小中高に政治教育を導入を目指したチャレンジでした。   全文はこちら・・・
尾崎まさてる(豊橋市議会議員)

子どもにつけを残さない とみた潤 一新塾13期 豊川市議会議員
とみた潤 一新塾13期 豊川市議会議員

◎入塾前は、東京で会社員
ふるさとに戻る→ 市議会議員

一新塾には2003年にサラリーマンとして働きながら通っていました。 当時、講師でお越しくださった三鷹市立第四小学校長だった貝ノ瀬滋氏がコミュニティスクールを現場で実践されていました。 地域の方や父兄がいつでも小学校に来て関わりを持てる仕組みです。 一新塾生も学校でイベントするのは大歓迎、ということで私も活動させていただきました。 テーマは親子のコミュニケーション。古くなった自転車を自分で好きなようにペイントして素敵に生まれ変わらせる 「ペイント自転車プロジェクト」を企画。 小学校で、親子での参加を呼びかけていただき二回開催することができました。 「子どもと今までにない関わりが持てた!」と、特にお父さんが感動してくださり、貴重な体験となりました。
一新塾では様々プロジェクトが生まれていて、「投票率アップPJ」「道州制ドットコム」「シチズンシップ教育推進ネット」などにも関わりました。 この頃、世の中を見ると「若い人が政治を見ていない」と感じました。 「このままでは若い世代が自分で自分の首を絞めることになる」と危機感を抱くようになりました。   全文はこちら・・・
とみた潤(豊川市議会議員)

いのちとこころを守る市政を 田中ゆき 一新塾38期 横浜市議会議員
田中ゆき(一新塾32期 横浜市議会議員)

◎入塾前は、看護師 → 市議会議員

正義感の強い両親に育てられ、弱い者を守るという精神を受け継ぎました。 就職は日本航空の客室乗務員CAになり、ホスピタリティの高い仕事に充実した日々でしたが、機内の急病人に何もできない現実、知人の自殺に直面し、命とこころを守る看護師になることを決意しました。 看護師になってからは、孤独死、自殺、パワハラ、ギャンブル依存症、いじめ、虐待の現実を生の現場で経験するようになり、さらに大切な家族の末期がんの在宅介護、看取りを経験しました。 その経験から、地域医療や在宅介護の重要性を認識して、推進して行きたいと思いました。 そして「命とこころを守る社会を実現したい」という思いで一新塾の門をたたきました。

一新塾では心と身体の健康、身体を育む環境を大切にしたいと「ハートプロジェクト」を立ち上げました。全文はこちら・・・
田中ゆき(横浜市議会議員)

「市民マニフェストで水戸を元気に」萩谷慎一(一新塾31期~41期/水戸市議会議員)
萩谷慎一(一新塾31期~41期/水戸市議会議員) 

◎入塾前は、公務員 → 市議会議員

大学進学で東京に出ることを考えていたが父親に反対され地元に残り、水戸市役所に就職。2012年、仕事の行き詰まりを感じ、一新塾に入塾し学びをする中で、自分の原動力はチャレンジできなかった思春期のトラウマの克服であることが判明した。
これからは、水戸のまちを「チャレンジと自己実現の場」に変えていこうと決意。まちの活性化に取組みたいと人事課への申告書に書くと、中心市街地活性化担当に抜擢され「水戸まちなかフェスティバル」の企画運営担当に。さらに、空き店舗等を活用した「水戸まちなかリノベーション」の事業を政策提言し、推進する中で組織と政治の壁にもぶつかる。
そこで、2017年から「公園を使い倒してまちを元気にPJ」などの市民活動に取組みつつ、2019年の水戸市議会議員選挙にチャレンジして当選。
公民連携による地域活性化と市民社会の実現を通して、「子どもたちや若者が、将来もこのまちで、働き暮らしたいと心から感じられる水戸」を創ってゆきたい。 萩谷 慎一 (水戸市議会議員)

「Take Action!子どもたちに誇れる街 柏に。」一新塾34期 渡辺ゆうじ 柏市議会議員
渡辺ゆうじ(一新塾34期生/柏市議会議員)

◎入塾前は、経営者 → 市議会議員

私は団塊ジュニア世代、大学卒業後に飲食業に就職しました。その後、脱サラし、埼玉で飲食店を経営し始めました。 東日本大震災で計画停電エリアに入り会社の経営危機に遭遇。なんとか飲食店は立て直しました。 この出来事で、社会の基盤の大切さに気づき、目の前のまちづくりにコミットした人生を送りたいと思うようになりました。
一新塾に入塾した2014年、最初のワークショップで私が取り組んだのは、自分が政治家になっての社会課題解決。 けれども、どこか腑に落ちませんでした。仲間からも「なぜ、政治家を目指すのかわからない」と言われました。 職業を政治家に変えてから頑張るのは違うのではないか。まずは経営者として、市民として、何か始めてみようと思えました。
一新塾は様々な道を教えてくれるところだったので、自分の立ち位置から始めようと思えたので良かったです。 その頃、柏市では、ママさんの職場がないというのが課題で、一日4時間、週四日働ける場所をつくれば貢献できることがわかり、 飲食店経営者として、これはできると思い、一新塾の仲間と「柏の葉ママカフェプロジェクト」を立ち上げました。
全文はこちら・・・  
渡辺ゆうじ (柏市議会議員)

「生きがいのある久米島づくり」新垣幸子(一新塾41期 /久米島町議会議員)
新垣幸子(一新塾41期 /久米島町議会議員)

◎入塾前は、公務員 → 町議会議員

私は、生まれも育ちも沖縄久米島。母一人子一人の母子家庭で、毎日食べることで精一杯でした。 高校3年生の時に福祉事務所の方に仕事をすることを勧められましたが、国立琉球大学短期大学部法経学科経営学専攻に進学。苦労してきた母を楽にしてあげたいという一心で地元の役場に勤めました。 学校教育課や町民課等で行政事務の仕事をしながら、地域の子供から大人までの学びの書道教室を開設し、8年間ボランティアで指導しました。 久米島町役場に勤めてみて、引きこもりや一人暮らしの高齢者、生活保護を受けている方々への支援があまり行き届いていないように感じていました。
島の人口は毎年100名減少し、このままでは島が疲弊してしまうと思い、2017年に27年勤めた役場を退職。東京で1年半、心理カウンセラーの学院や一新塾で学びました。 一新塾では多様な職業の方と出会い「人生と社会を変える根っこ力」について学んだことが、まさに目から鱗が落ちることであり、現在も私の原動力となっています。  全文はこちら・・・  
新垣幸子(久米島町議会議員)

人口2600人の村、東峰村(福岡県朝倉郡)に移住して   高橋弘展(一新塾32期/東峰村議会議員)
高橋ひろのぶ(一新塾26期 東峰村議会議員)

◎入塾前は、会社員 
→ 移住して、村議会議員

私は大阪府出身、長崎の大学を出て、下関で造船設計に携わるサラリーマンでした。ものづくりに憧れてたからです。 しかし、実際は、船が完成しても「やりがい」というもの感じることが少なく、 「働くことって一体?」そんな違和感を抱えたまま、自宅に帰り、翌朝出社と、自宅と会社の往復を繰り返していました。
そんな時、大阪に住む母親が広島県の瀬戸内海の島にIターンしました。 畑を耕しながら毎日自然とともに生活したいと決意したその島は高齢化率が50%を超える限界集落。日本には多くの問題が山積していることを知りました。 母親を助けるためには、自分も主体的に動かなければと思い、2010年5月、一新塾の門をたたきました。 一新塾の現場視察会で、福岡県朝倉郡の2600人の村、東峰村で、村内CATVの「とうほうTV」の立ち上げをされている方との出会いがありました。 全文はこちら・・・
高橋弘展(東峰村議会議員)

七宗町への想い、志に生きる 市川裕隆 一新塾46・48期 七宗町議会議員
市川裕隆 一新塾46期48期 七宗町議会議員

◎入塾前は、会社員 → 町議会議員

愛知県豊橋市に生まれました。小学校の頃から活発で、赤十字の活動をしたり、児童会長もやりました。 高校生の時からは、手筒花火にはまり、いろんな祭りに参加したり、ありとあらゆる遊びとバイトに明け暮れた高校生活を送っていました。 高校卒業して地元のゼネコンへ就職しました。配属されたリフォームの部署では、1 年目から現場を任され、試行錯誤しながら、 いろいろな方の知恵と力を借りながら、自分で仕事を覚えて、段取りして工事をするスタイルが出来上がりました。 地域密着の会社でしたので、上司と一緒に手筒花火を作り、いろいろなイベントへ手筒花火を揚げに行きました。 ゼネコンは5年で退社し、住宅リフォームを中心とした自営を始めました。 その後、妻と知り合い、子供が出来たのを機に、妻の実家の七宗町へ引っ越しました。七宗町では、製缶会社に11 年勤め、労働組合の執行役も経験。 そんな中、義父より議員に出てみないかと言われ、その後、一新塾に通うことに。 2021年3月、七宗町議会議員補欠選挙にて当選。  全文はこちら・・・
市川ひろたか(七宗町議会議員)

手上げ方式の支援から誰もが取り残されない東京へ 西沢圭太(一新塾16期 東京都議会議員)
西沢圭太(一新塾16期 東京都議会議員)

◎入塾前は、衆議院議員秘書
         → 東京都議会議員

2005年、26歳の時、衆議院議員の秘書をしていた時に、一新塾に入塾しました。当時から少子化が進んでおり、少子高齢社会を免れることはできないとわかっていました。 ニートの増加や凶悪犯罪の増加、若者の自殺者といった数字に表れているように、エネルギーを違う方向に使っているのではないか。 若者に能力がないのではなく、若者はエネルギーをもてあましてしまっているように私には思えていました。 なので私は若者のエネルギーがプラスに向かうきっかけを作りたい、若者の意見が政治に反映されることを考えて、一新塾では、その考えを発信し続けました。
そして、やはり自分が政治に直接かかわりたいと思うようになり、2009年には東京都議会議員選挙に挑戦し、初当選を果たしました。 そこから、2期目、3期目も当選させていただき、2021年7月には4期目も当選させていただきました。 26歳の時は「若者」のために、と言っていた私は、自身も一児の父となり、東京の多様な課題解決のために多くの役割や提言をさせていただいています。 全文はこちら・・・
西沢圭太(東京都議会議員)

命を守る。暮らしも守る。今枝宗一郎 ( 一新塾25期/衆議院議員・医師 )
今枝宗一郎 ( 一新塾25期/衆議院議員・医師 )

◎入塾前は、医師 → 衆議院議員

1984年愛知県生まれ。9歳で慢性肝炎を患い、3年間入院を繰り返し、肝炎は完治しましたが、自分の病院から小児科医がいなくなり、医療問題に触れることとなりました。 東海高校時代は、経済的理由で学校に通えない生徒への奨学金を募金活動半年で3千万集め、教育問題に提言を行い、国会議員を目指そうと決意しました。 名古屋大学医学部時代は、 愛知万博にて学生による教育/地域活性の政策コンテストを主催。学生NPO・ボランティア団体の立ち上げ・支援を多数行いました。 医師免許取得して、JR東京総合病院にて研修医として勤めながら、東京大学医療政策人材養成講座修了。
その後、新宿区内の病院で在宅医を務めながら、2009年11月、一新塾第25期(東京本科)に入塾し、「医療財政の第3の道」のプロジェクトを立ち上げ、同期の年上の方と共に愛知県に政策提言をしました。 2011年からは愛知県豊川市・新城市にて在宅医療、難病医療、救急医療に従事し、学生時代に志を立てた政治家に挑戦し、第46回衆議院議員総選挙にて日本一若い国会議員として初当選しました。全文はこちら・・・
今枝宗一郎 (衆議院議員・医師)

40歳を節目に政治への決断 田嶋要(一新塾11期/衆議院議員)
田嶋要(一新塾11期/衆議院議員)

◎入塾前は、会社員 → 衆議院議員

2003年6月まで普通の会社勤めをする生活者でした。既存の仕組みが限界に来ているのを痛感する一方、生活者による日本再生の"胎動"も感じていました。
私が一新塾で過ごした時間は、この"胎動"を再確認し、塾の仲間との切磋琢磨を通して政治の道への意思を最終確認するプロセスとなりました。お陰で、40歳を節目としたこれからの時間の使い方に納得いく決断と行動ができたと思っています。国会での生活は、早朝の勉強会から連日の議会まで、毎日が一新塾のような生活です。
田嶋要(衆議院議員)

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仕事をしながら市民プロジェクト

こんにちは歌舞伎 映画の可能性 野田香里(一新塾20・22・25期/執筆業・映画監督)
野田香里(一新塾20・22・25期/執筆業・映画監督)

◎フリーランス(翻訳・編集)+ 映画監督 + 市民プロジェクト

もともと「多彩な講師の話を取材できる」という軽い動機で入塾した私。同時期に映画制作もしており、2008年、初監督作品「こんにちは歌舞伎~竹本清太夫みなかみへ行く」を完成させました。地方の文化資源の舞台裏を撮ったこのつたない映画は、三重県庁、国土交通省観光庁と、一般上映より先に官公庁で上映されました。「今なぜ自分はこのことに興味を持っているのか」「個」の問題意識が「時代の課題」に直結することを一新塾によって叩き込まれ、支えてくれる同期が私の思いをブラッシュアップ。行動、発信する楽しさと勇気をもらっています。
野田香里(執筆業・映画監督)

すべての人が街のキャスト(出演者)になれるまち 児島 秀樹 (34期/グッドモーニング調布!代表)
すべての人が街のキャストになれるまち 児島秀樹(一新塾34期 グッドモーニング調布!代表)

◎会社員 + 市民プロジェクト

受験戦争、厳しい父親に怒られないように振る舞ってきた人生。大学から上京、就職、結婚、住宅購入と人生の階段を登ってきたが、人生の目標を見失い一新塾に入塾。気に入って住み始めたのに、10年経っても街を何も知らない現実に愕然。駅前で一年間毎朝一人でゴミ拾いを続け、多くの友達ができました。(一新塾で立ち上げたチームの仲間も応援してくれた)
現在はゴミ拾いイベント毎月開催、緑化活動を通して花を増やしながらミツバチプロジェクトを立ち上げました。主体的に動くことで自分の居場所ができ、自分の街になった気がしています。
一新塾に通った時間は、本当に得難いもの。価値観を共有できる同志の中で自分をさらけだすことができる安心感。本当の自分を生きるための気づきを与え続けてくれた一新塾には本当に感謝しています。
児島秀樹 (グッドモーニング調布!代表)

藤沢市をホームスクーリングタウンに 小沼陽子 一新塾39期 NPO法人優タウン代表
小沼陽子

◎元会社員 + 市民プロジェクト

私は仕事をしながら二人の子供を育てていましたが、ある日、その生活が一変しました。小学校に入ったばかりの息子が「学校へ行きたくない」と言い出したからです。逃げ回る息子を無理やり学校に連れてゆく壮絶な日々。ある朝、逃げ回る息子は非常階段から落ちそうになりました。「私は何をやっているのか?」という強烈な思いが走り、考えた末、息子に無理に学校に行かせないと決めました。けれども、夫や両親からも理解されず、このままでは親子共に孤立してしまうと思いました。それから「自分にできることは何か?」 20年勤めた会社を辞め、一新塾の門を叩きました。『大前家の子育て』の本に感銘を受けたからです。
一新塾では「不登校の子どもたちが生きやすい社会にしたい」という考えが全く否定されず、私は勇気をもってプロジェクトを立ち上げることができました。素晴らしい二人の仲間が賛同してくれたのです。「ホームスクーリングで輝くみらいタウンプロジェクト」のおかげで夫も良き同志となりました。藤沢市をホームスクーリングタウンにする活動は、勉強会、交流会、イベントを積み重ね、地域に仲間が続々と増えています。
※2023年6月に「ホームスクーリングで輝くみらいプロジェクト」は「特定非営利活動法人 優タウン」となり、更なる多様な活動が生まれています。
小沼陽子(NPO法人優タウン代表)

「非正規労働者が運営するおとな食堂」山岸薫(42・44・46期/「リアルボイス誇りある働き方を」プロジェクト代表)
山岸薫(42/44/46期 「リアルボイス誇りある働き方を」プロジェクト代表)

◎派遣社員 + 市民プロジェクト

テレビ番組制作の仕事を一生やっていこうと思っていましたが、子育て介護等で辞めざるを得なくなりました。
その後、ハローワークで非正規相談員として職業相談・職業紹介の仕事へ就きました。現在の日本では働く人の四割が非正規労働者。
働く意欲があるのに働けない、求職者は辛い思いを吐き出します。
ところが、社会的弱者が困るシステムになっている。

これを何とかしたい、と一新塾に入塾し、「誰もが誇りをもって働く社会」を目指すプロジェクトを仲間と立上げ。

まずは、地元千葉で「おとな食堂」を開催。コロナ禍で働き方の悩みや生き辛さを抱える人がさらに増えたことで、より広い相談体制の必要性を感じました。臨床心理士や行政書士、社会福祉士など専門家も参加いただき、今後は企業や議員などにも輪を広げます。

山岸薫(42・44・46期/「リアルボイス誇りある働き方を」プロジェクト代表)

思いやりに溢れた共に歩んでいける社会~ナマステ江戸川区 近藤祐市(一新塾45・47・49期 「ナマステ江戸川区」代表)
近藤祐市(一新塾45・47・49期 「ナマステ江戸川区」代表)

◎会社員 + 市民プロジェクト

私は日本の大学卒業後にインドの大学院に留学しました。将来日本とインドの懸け橋になろうと思ってのことでした。 インドでの初日は友人・知人がない私は安宿に泊まるという生活の基盤を整えるところからのスタート。 あの時、もし自分を受け入れてくれるホームステイ先が見つからなかったら、正直命があったかもわからなかったと思います。 本当に運よく、3人も子供がいる母子家庭の方が私を受け入れてくれ、5年間も人生をサポートしてくださったのです。 日本に戻ってから私は海運会社に勤めていますが、”インドへの心からの恩返し”の思いをどうしても形にしたくて一新塾の門を叩きました。 入塾したばかりの時は、何をしていいかわからなかったのですが、一新塾のワークショップでプランができ、プロジェクトを立ち上げることができました。 ところが、突如コロナで緊急事態宣言となり、計画していた活動企画は断念、マイナスからのスタートとなりました。 ですが一新塾で集まってくれたチームの仲間は一切諦めはなく、私のミッション・ビジョンに共感し、サポートし続けてくれました。   全文はこちら・・・ 
近藤祐市(「ナマステ江戸川区」代表)

「秦野の耕作放棄地をゼロに、地域の絆を再構築」小池 勉(一新塾37期・39期/ Field for citizen代表・神奈川県農業技術センター勤務 )
小池 勉(一新塾37期・39期/ Field for citizen代表・神奈川県農業技術センター勤務

◎公務員 + 市民プロジェクト

50歳を目前にして、主体的に生きられない自分。モヤモヤした気分を何とかしたい思いがありました。 そんなとき偶然に一新塾の存在を知り、説明会に参加しました。「すべての人たちは志を生きられる」という言葉に感動して、この塾は自分のためにあると確信。 2015年11月に東京本科に入塾し、神奈川県秦野から一新塾のある田町まで2時間以上かけて通うことにしました。
私は長年にわたり神奈川県農業技術センターに勤務し、農業の発展に尽くしておりますが、耕作放棄地が増え続けていることに強い危機感を持っていました。 そこで、一新塾で仲間と「Field for citizen」プロジェクトを立ち上げ、秦野市柳川地区で耕作放棄地を市民の力で解消する一歩を踏み出そうと動き出しました。 柳川では地域で長年に渡り農業に携わっているバラの栽培農家の方との出会いがあり、2016年の秋に地元の農家の方から1反(約1000平方メートル=300坪)の田んぼを借りることができました。 私は田んぼでお米を作る経験はありませんでしたが、農家の方の協力もあり「柳川名水でつくる田んぼPJT」がスタート。   全文はこちら・・・ 
小池勉 (Field for citizen 代表)

全国の子供に異文化体験を 加藤 頌太(一新塾48・50期/子供たちの文化交流教室「ナタデココ」代表・国家公務員)
加藤 頌太(一新塾48・50期/子供たちの文化交流教室「ナタデココ」代表・国家公務員)

◎公務員 + 市民プロジェクト

三重県の田舎、周りはみんな知り合いといったのような環境で生まれ育ちました。父親の転勤で中学から関東に引っ越して、自分とはバックグラウンドの異なる人たちと出会い、本能的に異文化に触れる楽しさを知りました。 「未知」との出会いは、人生の喜び。バックパッカーとしてアジアを巡った時、フランスに留学した時、アフリカに駐在した時、多くの「未知」との出会いによって人生は色鮮やかになりました。 人間は本能的に「自分にないものを求める生き物」であると信じています。ですが、異文化との出会いを自然と楽しめる人がいる一方で、日本社会には、異文化に対する抵抗感や偏見が根強く残っています。 外国人に対する恐怖心を抱く人が多数いるのが現状です。
その原因はなんでしょうか。私は、原体験の有無だと考えています。 私は、「子供たちに異文化に触れる原体験を持ってほしい」と考え、国家公務員10年の経験を経て、仲間を求めて2021年に一新塾に入塾しました。一新塾では、日本在住の外国人の協力を得つつ、地方の小中学生を対象とした出前授業を実施するプロジェクト「異文化に触れる出前授業」として仲間を募りました。  全文はこちら・・・ 
加藤頌太(子供たちの文化交流教室「ナタデココ」代表)

任意団体立ち上げ:2021年8月27日→2023年6月27日NPO法人化

グアテマラの農村から日本の農村へ 河内毅(一新塾20期/中越防災安全推進機構・復興デザインセンター)
河内毅(一新塾20期/中越防災安全推進機構・復興デザインセンター)

◎入塾前は、青年海外協力隊
→ 地域防災リーダー

入塾前は中米のグアテマラなどの途上国の農村開発に携わってきたのですが、「日本の農村の方がもっと危機的な状況にあるのではないか?」そんな思いから帰国後一新塾の門をたたきました。
現在は、中越地域の復興支援や防災に携わっています。元々日本に現場を持たなかった自分が、こうして地域に入り込み活動できているのは、一新塾で知り合った仲間との縁があったからです。また、今振り返ってみても一新塾での一年は自分にとっても予想以上の変化を得られた期間でした。是非、皆さんも一新塾で自身の思いを実現させる「きっかけ」を見つけてください。
河内毅(中越防災安全推進機構・地域防災力センターマネージャー) 

ユメキッズプロジェクト~子どもを軸に地域社会を変える 加藤善幸 一新塾35・37期/ユメキッズ代表 
加藤善幸 一新塾35・37期/ユメキッズ代表

◎会社員 + 市民プロジェクト

40歳を過ぎ、東日本大震災や友人の死があり、「何かしないといけない」と思っていましたが、一歩踏み出せない日々が続いていました。
塾のワークショップで、自分の生い立ちや子供の頃の夢や辛かったことなど徹底的に人生の掘り下げを行ったことで自分自身の軸が見えてきました。
チームプロジェクト活動のプログラムで手を挙げて仲間を募り、「ユメキッズ」プロジェクトを立ち上げ、一歩を踏み出すことができました。
地域で活動を始めると、引っ込み思案だった娘が自発的に行動するようになり、今では活動の大切な同志となりました。今は、仕事も含めて「ビジョンをもって行動し続ける」大切さを実感しています。一新塾に入らなければ10年たっても今のようにはならなかったと思います。
加藤善幸 (ユメキッズ代表・会社員)

ここから☆ビーチクリーン隊 岡部雅子 一新塾22・35期 ここから☆ビーチクリーン隊
岡部雅子 一新塾33・35期 ここから☆ビーチクリーン隊

◎市民プロジェクト

私は2013年に一新塾に入塾しました。2011年の東日本大震災以降、奪い合いから助け合いの社会を切に望むようになったからです。 エネルギー、経済、原発、農業問題、それらの起こっている問題の本質が「奪い合い」としか思えません。空気も水も地球から無償で与えられているというのに。 私は、奪い合いの社会から脱却、助け合い分かち合う社会を切に望みます。 まず思うことは次世代のためにゴミを少なくして環境を汚さないような配慮が必要だと思いました。
一新塾に入った当時、介護職による燃え尽き症候群の回復に時間がかかったあとでした。 「ありのままでいられる居場所」があの時にあればと、自分の体験から一新塾では「いのち輝く生き方を メンタルケア支援プロジェクト ここから☆」を立ち上げました。   全文はこちら・・・ 

「認知症カフェ『なもなも』」駒田麻里子(一新塾31・33・35期/認知症カフェ「なもなも」代表)
駒田麻里子(一新塾31・33・35期/認知症カフェ「なもなも」代表)

◎市民プロジェクト

生まれてから大学卒業まで名古屋で過ごし、都銀に2年ほど勤め結婚しました。 専業主婦として子育ての時代を経て、40代のころ、頼まれて、宝飾卸業に勤めました。 人が好きなので、小売店舗を廻りアドバスイスや、ジュエリーコーディネーターとしても楽しく仕事をしました。 50代で父が体調を崩し、後悔したくないので会社を辞めて介護をした後、父は亡くなり、一人になった母と主人と名古屋で暮らしていました。
一新塾に入塾のきっかけは、地域の婚活ボランティアをしている中、NPO法人化を検討するためでした。2012年のことです。 ところが、学び始めたころに、母は、検査の結果、アルツハイマー型認知症と診断され、要介護2の認定を受けました。
そこで、一新塾での活動テーマを介護に変更することにしました。 海馬の萎縮は嗅覚を刺激すれば良いと聞き、アロマペンダントづくりワークショップを始めました。 アクセサリーが好きな母も、参加された方も、アロマペンダントづくりを喜んでいただけました。 何より母の個性を大切に寄り添いながら、母の在宅介護は8年間続きました。  全文はこちら・・・ 
駒田麻里子(認知症カフェ「なもなも」代表)

宮古諸島つかさ応援プロジェクト 橋本弥生(一新塾27・29期/会社員)
橋本弥生(一新塾27・29期/会社員)

◎外資系の会社員 + 市民プロジェクト + 政策提言

外資系の銀行に勤めつつ、毎日忙しくしながら、ひとつのものを奪い合うゼロサムゲームに限界を感じていました。日本のために何かしなくてはと思っている時、旅行で訪れた伊良部島で、素晴らしい聖地を守る「つかさ」という役割を担う後継者がいなくなっているという現状を知りました。刻々と変わっていく情勢・環境の中、自然を守ること、日本の文化を守ることこそ今必要な自分の使命だと思いました。銀行経験しかない私は、社会活動のノウハウ等を得るため一新塾の門をたたきました。「自分軸」(志)と「現場主義」を尊重する一新塾では、色々学ぶことがありました。先日、一新塾で出会った仲間と東京でのイベントを行い、集まった寄付金を宮古島まで渡しに行きました!
橋本弥生(宮古諸島つかさ応援プロジェクト代表・会社員)

オトナからコドモへ 渡辺雅則(一新塾13・15・17期/公園芝生化プロジェクト代表)
渡辺雅則(一新塾13・15・17期/選挙セールドットコム代表)

◎早期退職で定年 + 政策提言

私は団塊世代の元商社マン。退職し第二の人生の羅針盤を求めて2003年入塾。塾生時代は病院のモノサシPJを立上げ、卒塾後運営スタッフとして関わり、地域では芝生の防災公園を実現させた。
会社生活を振り返ると「役割」に縛られて生きていた気がする。現在は「役割」以前に「人」としてどうありたいか、を自問するようになった。これも塾生の志を真ん中に置いた敬意・感謝・共感の場に触れてきた結果だと思う。
一人一人には役割以前に大切な志がある。これが今の私の羅針盤だ。
私の家族にも志があることに恥ずかしながら気づかせてくれた。家事を積極的に担うようになったと自分では思う。ささやかながら家族の志の応援のつもりだ。
渡辺雅則(公園芝生化プロジェクト代表)

国際理解教育で世界をつなぐ 我妻みず穂(一新塾22期/団体職員)
我妻みず穂(一新塾22期/団体職員)

◎団体職員 + 市民プロジェクト

一新塾との出会いは、人生を変える運命的な出会いでした。自分のやりたいことへのアプローチに悩んでいたときに、今の自分に必要なのはこれだ!と直感し、入塾しました。かつて青年海外協力隊員として赴いたシリアのパレスチナ難民キャンプで実感した「子どもたちのために何かがしたい!」との思いに突き動かされ、異文化交流や国際理解教育で世界をつなぎ、“憎しみ”より“理解”を育てようというプロジェクトを立ち上げました。プロジェクトではシリアのパレスチナ難民キャンプの子どもとと日本の子どもたちの交流を行いました。常に自分が試され、壁にあたる毎に自分も成長し、プロジェクトの根も太くなっていると思います。
我妻みず穂(団体職員)

団塊世代が地域で輝くハッピーセカンドライフ 坂田静子(一新塾16期/会社役員)
坂田静子(一新塾16期/会社役員)

◎公務員 + 市民プロジェクト

私は2005年に一新塾を知り、入塾しました。
自治体の福祉保健部長に在職中で、多様な福祉ニーズに、行政だけでなく民間企業や市民できめ細かなサービスを提供していく必要に迫られていました。そんな時に、一新塾は第一線で活躍・活動する人たちの講義が聴ける貴重な場でした。今でも変わらないです。一年間のプロジェクト活動は、自身のライフワークを決める時間となりました。運営スタッフとしては、数多くの塾生プロジェクトに関わり、人生をかけてチャレンジする姿が眩しかったです。全てがうまくいくとは限りませんが、仲間がいるから失敗できる、経験を積むことができるのです。
私は今、中小企業の応援に関わり、少しでお役に立ちたい、若い人と協働できる日々を送りたいと願いつつ過ごしています。
坂田静子(会社役員)

児童虐待の発生は予防に勝るものはない 佐藤孝典(一新塾25期・子ども虐待予防プロジェクト代表)
佐藤孝典(一新塾25期・子ども虐待予防プロジェクト代表)

◎児童福祉職員 + 市民プロジェクト

これまで教育、児童福祉の仕事に携わってきました。虐待に苦しむ子どもの姿に心を痛め、既存の制度以外にも発生を防ぐ方法を模索していた時に一新塾を知り、共に活動をする仲間と新たな知恵を得る為に入塾しました。
私は一新塾で自分の志を支えてくれる仲間に出会いました。そして現場主義、行動する事の大切さを学びました。一新塾での活動を通じて児童虐待に関わる当事者と会い、苦しみを知り、私は児童虐待問題に取り組む覚悟が決まりました。私1人では為し得なかったシンポジウムを3人の仲間と一新塾スタッフの支援のもと開催もできました。今後も一新塾での学びを活かして、児童虐待予防に向けて励んでいきたいと思います。
佐藤孝典(子ども虐待予防プロジェクト代表)

医療改革の理解と意欲を高める本を出版 桑間雄一郎(一新塾5期/べ須イスラエルメディカルセンター医師)
桑間雄一郎(一新塾5期/べスイスラエルメディカルセンター医師)

◎医師 + 政策提言

当たり前のことを当たり前に実現できる世の中のことを、当たり前に語り合える場と仲間が欲しかった。世の中をこう変えたいというビジョンを、実はたくさんの人が持っている。でも、個人レベルでは皆が愚痴を言いあうだけで我慢するにとどまっている。
一新塾の講師の方々は皆、勇気を持ってすでにアイディアを実行に移した人々。だから、一新塾で時を過ごすと、実行への勇気が自分にも湧き上がる。 そして私は広く国民全員の医療改革への理解と意欲を高めるべく、一冊の本を出版した。原稿の3分の2は実は一新塾に通っていた頃にすでに書いてあったものだ。今回の著作は、自由になった私の日本を愛する叫びなのである。
桑間雄一郎(元べスイスラエルメディカルセンター医師・東京海上記念診療所(マンハッタン診療所)院長)

『市民がつくる道州制』奮闘中 藤井秀一(一新塾3・9~17期/会社員・道州制ドットコム代表)
藤井秀一(一新塾3・9~17期/会社員・道州制ドットコム代表)

◎会社員 + 政策提言

2002年2月に一新塾で受けた加藤哲夫氏のワークショップ授業が私の人生を変えました。その夜、道州制実現で意気投合したメンバー6人がお金を出し合って3万円を集め、ホームページを立ち上げ、「道州制ドットコム」が発足いたしました。 それから数年後には立ちホームページが「道州制」検索ナンバーワン。主催したシンポジウム「市民がつくる道州制」では、152人の参加者と6社の新聞社の方にお越しいただきました。自分たちで動いてこそわかることが本当にたくさんあります。そして私たちは今日も「生活者主権の道州制」実現に向けて、市民の皆さんと一緒に日本を変えてゆく活動中です。藤井秀一(会社員・道州制ドットコム代表)

子供たちに市民の芽を 山之内淳史(一新塾12期/会社員)
山之内淳史(一新塾12期/会社員)

◎会社員 + 市民プロジェクト

私は結婚という人生の節目を迎えて、地元コミュニティとの接点のない生活そして明るい展望を持てない日本に何か自分ができることは何か?という問いを持って一新塾の門を叩きました。 一線で活躍されている講師のお話に自分の無知を思い知らされ、塾仲間にはお互いの志に触れ刺激し合う信頼という絆をいただき、プロジェクト現場では自分勝手な思い込み気づかされる濃密な日々でした。
子供たちとのワークショップをやりたいと想って、実践を重ねている内にオリセンの方からお声がかかり、商店街向け中高生まちづくりWSを実施したのは私にとって奇跡のような体験でした。あの時の子供たちの笑顔は本当に一生の宝物です。そして最後になりますが、まず自ら現場に動き出せるようになったことが私の人生にとってその後につながる大きな収穫であったと考えております。山之内淳史(会社員)

言いだしっぺがはじめる現場主義は一新塾の伝統 倉田剛(一新塾9期/会社員)
倉田剛(一新塾9期/会社員)

◎会社員 + 政策提言

もともと私は大前研一氏が立ち上げた『平成維新の会』の若手の活動グループで活動していました。グループの有志で「政治家志望や社会を変えたい、と考えている人のための塾・学校をはじめたらどうか」ということを当時の事務局に提案。すると「それは大変良い提案だ。それではあなたたち、自分でやったらどうか!」と言われ、本当に立ち上げたのが一新塾のはじまりでした。
その後一新塾は常に変化(進化)を続けていますが、当初からの『現場主義』は変わることなく、今も引き継がれています。みなさんもぜひ、このような一新塾で人生を変えてみませんか!倉田剛(会社員)

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