事務局長 メルマガメッセージ|NPO法人[社会起業・政策学校]一新塾(大前研一創設)

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事務局長 メ―ルマガジン発信のメッセージ

事務局長メールマガジン発信のメッセージの言葉

 

【事務局長メッセージ メルマガ発信文】

■『今こそ、私たち一人ひとりが、社会創造のプレイヤー』

■『答えのない時代だからこそ、異質同士の切磋琢磨』

■『すべての人は志を生きられる』

■『誰もが志を生きるマネジメント』

■『平成の松下村塾』



『今こそ、私たち一人ひとりが、社会創造のプレイヤー』

時代の転換点、
問題解決の糸口のつかない試練が
降りかかります。

コロナショック。

ここまでとは! 予期しなかった。
思ってもみなかった。

世界中の人たちが こう語ります。

感染しても、症状が出る人、出ない人。
医療の常識が覆されます。

人との距離が近いのがよし、
大勢集まるのがよし、
としてきた社会の価値観が覆されます。

私たちにもたらされた衝撃は、
これまでの常識を覆された
不安や恐怖 だったのではないでしょうか。

現代社会は、
専門領域が細分化された タテ割り構造。

コロナショックで顕著となったのは、
一つの専門領域だけでは解決できない、
モノサシを一つにしてしまうことの
リスクだったのではないでしょうか。

人類の歴史を紐解いても、
常に当時の常識が覆されて
社会は進化してきました。

新しい価値観に目覚め、 多様化してきました。

その意味では、今回の出来事は、
社会の問題解決を
政治家や官僚や専門家だけに
任せることの限界も露呈したのではないでしょうか。

教育を教師だけに任せるのではなく、
医療を医師だけに任せるのではなく、
政治を政治家だけに任せるのではなく、
私たち生活者が主体的にかかわっていこう。

一新塾創設時のスローガンです。

今こそ、私たち一人ひとりが、
社会創造のプレイヤーとして
立上ることが何より求められていると思います。




『答えのない時代だからこそ、異質同士の切磋琢磨』

インターネット社会。
物理的な距離の壁を越えて、
同じ価値観の人たちが、
繋がりやすい時代となりました。

一方で、価値観の違う人は
簡単に排除できるようもなりました。

それゆえ、
異質の価値観をお互いにぶつけてあって、
切磋琢磨する機会は減っています。

Withコロナは、この情勢に拍車をかけます。
世界は自国を守るために必死です。

私たちも、自分・家族・会社を守るため必死です。
ミクロもマクロも、 分断されやすい社会となりました。

しかし、 こうした時代だからこそ、
新しい社会創造に向かうために、
さまざまな世代、
さまざまなバックグラウンドの
異質同士のコミュニティが
求められているのでは ないでしょうか?

価値観が違う者同士だからこそ、
異質の価値観をぶつけあって、
考えを磨き、切磋琢磨してゆけるからです。

インターネットを活用して、
どこまで異質同士の切磋琢磨を起こせるのか?

安全・安心を確保したリアルな場で、
どのように異質同士で対話と協働ができるのか?

答えのない時代だからこそ、
異質同士のコミュニティ。

この延長線上に、
一人ひとりの個性が輝きを増しつつ、
全体としても調和が生まれる
新しい次元の社会が生まれるのだと思います。





『すべての人は志を生きられる』

すべての人たちは志を生きられる。

1996年より、一新塾で5000名を超える
主体的市民の目覚めに
立ち会わせていただいた 私の確信です。

私が出会わせていただいたすべての人が、
胸の奥にかけがえのない、
その人ならではの
個性溢れる熱き志を抱いていました。

しかし、今でこそ、
社会変革のフロントランナーとして、
政治の分野で、社会起業の分野で、
突出した活躍をしている 卒塾生も、
かつては、
「志を生きられるのは一部の限られた人たち。
平凡な自分では志を生きるのは無理」
と思っていた方も少なくありませんでした。

当初は、もやもやの思いでも、
志を生きることに憧れを抱き、
内から湧き上がるエネルギーに
突き動かされながら、
目の前の現実に限りを尽くしてぶつかり、
交わり、葛藤し、 紆余曲折の歩みの中で、
手探りで志を果たす道を見出していかれました。

私自身、かつてのサラリーマン時代、
組織の論理に埋没し、
志を埋もれさせてしまう自分がありました。

周りの目を気にし、
外からの評価に一喜一憂する自分がありました。
組織や業界のルールの中での
競争に勝つこと に没頭する中で、
自らの本当に果たしたい志を実感できず、
いくら仕事をやっても
空回りしているような悶々とした葛藤の日々でした。

一般に日本社会では、
一個人、一市民の立場で
“ものを言う”ことはあまりありません。
組織の論理が幅をきかせる
サラリーマンの世界では特に顕著です。
なぜか、主語が自分でなく、
企業であったり、国であったり、
自分を主語とせずに、
評論家になってしまっています。

そして、気づかぬうちに、
かけがえのない「個人のミッション」を
埋もれさせ 「組織のミッション」で
上塗りされていくのです。

個人が表に出ることがあ
まり歓迎されない空気を感じる時があります。

その背景には、個人を強く出すと、
自己の利益や野心や欲望のために
利用されてしまうという人間不信が
前提にあるかもしれません。

しかし、何か 新しい創造が生まれた時は、
その人の志が鮮明に発信され、
その人の人生を賭けて
身を投じた生き方に感動して、
それが求心力となって
人を巻き込んでいくのだと思います。

自己の利益や欲望や野心とは違う、
自分の内にある志を表に出して勝負するのです。

志の中には、
自己実現も利他の精神も社会変革への
切なる願いも込められているのです。

私たちは組織人である前に、一市民です。

主語を、「私」に変えてみる。

それこそが、
「組織のミッション」から
「個人のミッション」を生きること。

私は、志をさらけ出す生き方へ
転換してみたいと思いました。






『誰もが志を生きるマネジメント』

これまでは、志を生きられるのは
一部の限られた人たちだけでした。

たとえば、100人の会社であれば、
純粋な意味で、志を生きられるのは
社長一人だけでした。

だから社員が、
「自分は何のために働いているのだろうか?」
と思ってしまうことがしばしばありました。

そこには、 20世紀のマネジメント手法の
限界があったように思います。

これまで1200を超える塾生による
社会変革プロジェクトがこの場から誕生してきましたが、
振り返ってみますと、
ずっと目指してきたのは、
一人が志を生きられるマネジメントではなく、
「誰もが志を生きられるマネジメント」
であったように思います。

そこでは、
リーダーが志を貫きとことん生きるのはもちろんこと、
メンバーも 「このプロジェクトにかかわったからこそ
自分も志を生きられた」と、
リーダーもメンバーも全員が
志を生きる人生を後押しされる
プロジェクトがありました。

まるで交響楽団のように、
一人ひとりの個性あふれる志が響き合い、
調和が生まれるのです。

21世紀の
「誰もが志を生きられるマネジメント」
の特徴は、“人間ありき”です。

プロジェクトをしている時も、
プロジェクトをしていない時も、
プロジェクトの境界線を越えて、
リーダーもメンバーも互いに
人生を丸ごと受け止め合うことからスタートします。

互いに志を育みあい、応援し合う同志の絆が
プロジェクトの土台となるのです。

誰もが志を生きられる。

道は、ここにあります。






『平成の松下村塾』

明治維新、背後にあった私塾の存在。

志を同じくする仲間と熱く語り合いたい!
維新の志士たちは、同志を探し回って、
同志がどこそこにいるとなれば、
「脱藩行為」をしてでも、 同志に会いに行った。

会えば、夜を徹して熱く語り合った。
そして、他に同志はいないのか、
どこそこにいるぞ、となれば、
また、藩を越えて同志に会いに行った。

そして、いつしか、
維新の志士たちのネットワークは 3000名を超え、
新しい国を開くということがありました。

その時、
私塾は同志が繋がりあうための装置として機能しました。

そして、時を超えて、
いま、世代を超え、縦割りを超え、
同志が繋がりあう場として
一新塾の役割があるのだと思います。

「平成の松下村塾を目指す!」
一新塾創設の時からの合言葉です。

江戸時代の末期、ペリーの来航によって、
吉田松陰は浦賀を訪れていたペリーの艦隊を眺め、
「日本を守るためには、まず外国を知らねば守れない」と、
黒船に乗って渡米することを思いつきます。

しかし、松陰の必死の懇願も通じず、
アメリカ側は乗船を拒否します。
死を覚悟しての行動でしたが、
結局、自首を決意し、
松陰は野山獄に入牢されることとなります。

その野山獄で出会ったのは、
長い獄中生活で、 いつ自由になるとも知れず、
希望を捨て、 死んだ目をした11人でした。

松陰は、一人にまず語りかけます。
「欧米列強の国々が押し寄せるこの時代をどう受け止め、
どう行動すべきなのか?生きるとはいかなることか?」

限りを尽くして一人にとことん向き合い、
あらん限りの情熱を注ぎ込み、
共に立ち上がろうと ぶつかっていきました。

ついには、その一人の胸の中では、
埋もれてしまっていた 志が揺さぶられ始めるのでした。

すると、その様子を見ていた他の若者が
「私も学ばせてください!」と声を上げます。

一人、また一人と加わって、
いつしか獄舎は学び舎と化していきました。

松陰は、野山獄から出た直後に、
叔父から松下村塾を受け継ぐこととなりました。

幾多の維新の志士たちを輩出した
松下村塾で行われた “志を揺さぶる教育”は、
まさに、野山獄で
一人に魂込めて限りを尽くして
とことん向き合った中で
磨き上げられたものではないかと思います。

松陰は、
一人を変えることからの社会変革の実践者でした。

応えたい対象者を一人に絞り込む。
具体的に誰に応えたいのか、
徹底的に絞り込み、 一人の人間に定めていきます。

そして、その人に会いに行き、
話を聞かせていただき、
その人に徹底的にアクセスしていくことで、
問題の根源もビジョンも浮き彫りになっていきます。

さらに、その一人に応えるために
自らの志を鮮明にして限りを尽くして完全燃焼する。

その熱が激しければ激しいほど、
続々と他の方へと連鎖を起こしていきます。

社会が変わるとはそういうことだと思います。



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