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        一新塾ニュース今のニッポンを変えろ!
         【第279号】 発行日:2007年4月17日
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目次
■ 一新塾 講義録   『掃除に学んだ実践経営哲学』 (その1)

               (株)イエローハット 創業者
                日本を美しくする会  相談役  鍵山秀三郎 氏

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メルマガ読者の皆さま、こんにちは。事務局の森嶋です。

今回は今年の2月21日にお越しくださった鍵山秀三郎氏のご講義より
社会起業やNPO立ち上げに向けて、読者になられている方にもお役に立つ
知恵をお届けします。

現在72歳の鍵山氏が相談役をつとめる「日本を美しくする会」が発足した
のは平成5年11月。(株)イエローハットの創業者・鍵山秀三郎氏の掃除哲学
に学ぼうという有志の集まりとして結成されました。活動内容は「各地の
学校のトイレを徹底的にキレイにする」こと。学校長のご理解をいただき、
職員先生やPTAそして地域の方々のご協力をえて行っています。
現在その運動は全国に広まり、日本だけでなくニューーヨーク、ブラジル、
中国、台湾でも設立され、1年間でのべ10万人が活動に参加しています。

なぜ、そのように活動が広がっているのか?それを紐解くように、独自の
人生哲学を語っていただきました。鍵山秀三郎氏の気配はとても静かで、
声も穏やか、背筋はピッと伸び、ゆったりとした動きの中に猫のような
ちゃめっけのあるまなざし。講義を通して塾生一人ひとりに語られる一言一言
の重み、説得力は、これまでの人生の背景を感じさせる深く染み入るようでした。

是非、じっくりお読みください。

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■■■■         一新塾講義録 
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■■      『掃除に学んだ実践経営哲学 』 (その1)

□                  (株)イエローハット 創業者
                    日本を美しくする会 相談役 鍵山秀三郎 氏

●でも私はやめなかった

20歳のときに東京に出てきて初めて勤めた会社、本当にひどい会社でした。
もう汚くて。私の両親はきれい好きで、粗末な田舎の家でしたけど、綺麗には
していましたので、その考えからすると、とてもほおっておけない「とんでもない
会社」に入ってしまったなあと思うくらいですね。誰も掃除なんてしない。
そういう会社に入ったんです。

そこで私は見るに見かねて、一人で誰もやらないのに、住み込みで入ってまして、
朝早く起きて、会社の周辺から掃除をこつこつやり始めました。
また、それしかなかった。商品知識も技能もなかったので、すぐには何もできな
かったんですね。そこで掃除を始めたところ、先輩からずいぶんいじめられました。
「生意気な奴が入ってきた」と。私が掃除をすることを邪魔をする、妨害する。

だいたい人間はですね、いいことをやろうとすると必ず妨害する人が出るんです。
必ず出ます。なぜか?それは「やりたくない人」が妨害するんです。掃除をやり
たくない人は掃除をやる人の邪魔をするんですね。ほとんどの人たちがその妨害
や抵抗にあって止めてしまうわけですね。でも私はやめなかったんですね。

絶対これは正しいと。自分のやっていることは間違っていないと。ずいぶんと
先輩からいじめられましたが、私はとうとうやりぬきましたね。

おかげで、数年後には商品知識も技能も身につけて、その会社でたいへんな待遇を
受けるようになりました。私のような学歴も何もない人間にしてはもったいない
ような。今の方に貨幣価値がわかるかわかりませんが、昭和33年、24歳の頃
お給料は5万5千円。当時大学卒業した人が1万数千円という時代です。
そのような時に、私は破格な待遇を受けていたわけです。

でも私は昭和36年にその会社を辞めました。当時の社長が会社を私物化する、
公私混同する、それが当たり前になっていた、というのが許せなかったからです。
会社がどんなに小さくても、法人格の「格」というのは神聖なものです。
それを一個人の欲望で勝手にしてよいものではないというのが私の考え方でした
ので、きちっと個人と会社を分けてほしいとずいぶん話をしたのですが、
改まらなかったんです。

●今の会社をスタート!


そこで私は昭和36年に会社を辞めて、理想的な絵に描いたような美しい会社を
つくり出そうと今の会社をスタートさせました。自転車での行商。1台の自転車
に荷物を積んでほうぼうを歩きました。前の勤めていた会社からさんざんな妨害
が入りますから、私が扱いたい売りたい商品は1品たりとも手に入らない。
そこで人が省みないようなものを自分の工夫と努力と才覚で売り広げてきたんです。

その時に誰もやらなくて私だけが売った商品、45年間も続いている商品が1つ
だけあるんです。1つの商品が、同じものが45年間続く商品があるということ
は大変なことです。それは、私が会社を創業した頃に京都の方が作ってサンプル
をほうぼうへ送ったけれど誰もやる人がいなかったものです。

「こんなものは売れない。」と皆さんから無視されたのを「私が売りましょう。」
と手を上げて引き受けたもの、それは何か?自動車ハンドルにかけるカバーです。
リングカバーという名前でございまして、これを私がやりはじめました。最初は
骨をおりました。自転車にL・M・Sのサイズをひっかけて、歩いて、一軒一軒
歩いて。行った先で止めてある車にはめて見せて触ってもらって「どうですか?」
って。わりあい手触りがいいんですね。「L・M・S を1本ずつ持ってこい。」
と言われて、3本。それが5本になり、10本になり、とうとうそれが月に3万本、
4万本とか売れるようになって。

そうなると、やらなかった人たちが「うちも売りたい」と言ったけれども、
それを作った方が「これは鍵山が世に広めてくれたから鍵山にしか売らない。」
とそういうことがあって、私もそのことに恩義を感じて売り続けて45年間、
今も続いているわけです。自動車のハンドルが丸い間は売れ続けると思います
けれど。

さて、この仕事を始めて学ぶことが色々ありましたけど、世の中には鬼はいない
けれども、鬼のような心を持った人はいるんです。それを思い知らされました。

                                    (次号につづく)

 

 



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