塾生の声

一新塾卒塾生からのメッセージ

野村諒子

野村諒子 氏

三島市議会議員
一新塾30・32期卒塾

◎入塾前は主婦から市議会議員
→三島でコミュニティスペースを開設


「専業主婦から議員への挑戦」


大学卒業後、自閉症の子どもの専属保母として障害児教育に関わりました。
28歳の時、未熟児でやっと育った次男を、安全マークのおもちゃの事故で亡くし、それまで、それほど大きな苦労もなかった人生が大きく崩れていく経験をしました。 

周囲(家族)の無理解、非難の目から、自分自身で解決しなければならないことを感じ、次の犠牲者を出さない為に、製造元に対して声を上げ、その結果、乳児用のおしゃぶりの大きさの基準が出来ました。当事者が声を上げる重要性を感じ、同時に声を上げる事で社会は動くことも知りました。
その後、3人の子育てをしてきたものの、子育てへの自信のなさから、どうしても過干渉の子育てになっていました。

末の息子が小学生の時「僕の人生は僕が決める、お母さんじゃない!」という一言で目が覚め、その後の私自身の人生をどう生きるか考える様になりました。
47歳の時、結婚以来22年間の子どもの為、夫の為という専業主婦からもう一度、自分自身がしたいこと、学びたいことと向き合い、
「60歳になっても打ち込めるものを身につけよう」と決心しました。

メンタルケアの研修、NPOの研修、その後の15年間は研修と実践の毎日となり、今に至ります。
「こんな私でも役に立つんだ」という、僅かな肯定感を得られる機会が「自分が社会の役に立つんだ」という自尊心へとつながる経験をしました。

私自身、28歳からの人生は多くの人に支えられ助けられてきました。
だから、これからの人生は少しでも生きにくさを感じている人の役に立ちたいと感じ
「自分にできること、自分にしかできないこと」を探して、残された人生を歩もうと思いました。

2011年より三島市議会議員となり、2012年から、一新塾に2年にわたって、三島から東京の一新塾教室に通い、多様な講師や塾生の活動から学ぶことができました。

2013年10月、三島地域の皆さんの拠り所をつくる必然を感じ、「コミュニティスペース・ジモット」を開設しました。疲弊してしまった商店街の一角で、地域の皆さんが気楽に立ち寄れる場所を提供し、棚ショップ、サークル活動、教室などの場を提供しています。

このプロジェクトの推進は、地域の中で様々な経験や思いを持った皆さんが、自分に出来ることを持ち寄って参画し進められています。

みんなで知恵を出し合えば、それこそ人が輝く地域オアシスに、「みんなの居場所」になっていくと思って、頑張っています。



野村諒子(三島市議会議員)


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