塾生の声

一新塾卒塾生からのメッセージ

一新塾卒塾生 伊東あきら 袖ヶ浦市議会議員

伊東あきら 氏

袖ケ浦市議会議員
一新塾43・45・47・49・51・53期卒塾

◎入塾前は会社員→市議会議員


「袖ケ浦市活性化プロジェクト」


私は生まれは仙台で、山形、福島に住み、18歳の時にボクシングで世界一を目指すために東京に上京しました。
小さい頃は気が弱く14歳の時に道端で5人の人にからまれ、靴に唾をかけられても反撃できず、何もできなかったことで悔しい思いをしました。その靴は、靴屋でつとめていた父親が買ってくれたものでした。ある時モハメド・アリのボクシングを見て、圧倒的に強くて動きがかっこいい上に、「ボクシングを通して黒人の地位を上げる」というビジョンに感銘を受けました。高校時代はラグビー部に所属していましたが部活が終わってから地元のボクシングジムに通い、自分も、ただ強くなるだけでなく、日本の存在感をもっと高めるために強くなりたいと思って東京へ。夢しかありませんでした…

しかし、ボクシングの練習とアルバイトに明け暮れ、自分がやりたい練習もできず、試合でも負けてしまい、一生の仕事ではないとあきらめました。次は自衛隊か、大学か、で迷いましたが、父親に頭を下げて死ぬほど勉強することを約束して、大学進学を目指すことにしました。父はそれまでとても怖い存在でしたが、この時に大学のお金を出してくれたことは、父が亡くなった今でも心から感謝しています。夢を追って勝手に出て行った息子を温かく見守ってくれました。

大学は「法学部」に入ることができました。理由は、ボクシングで挫折したものの、いずれは政治の世界で活躍したいと思ったからです。ですが、大学を卒業してからは、不動産会社に勤め、何か違うと思い、俳優を目指しながらITベンダーの会社に勤めて10年。英語を勉強して、海外で働くことを夢見ましたが外資系の会社には入れず、35歳でソフトバンクに入社。仕事を中心とした生活に落ち着きました。

父は、定年後2000年に袖ケ浦市に中古の一軒家を買い母と移住。その後、2014年に癌になり、2016年で他界しました。母は元気でしたが介護疲れもあり、最後くらいは親孝行をしようと思い、2017年の2月に私も袖ケ浦市に移住しました。地域に溶け込むため、自治会の活動を始めましたが、父の死からずっと考えていた「政治の道を目指したい」と思った気持ちが再び湧き上がってきました。何か勉強するところを探していた時に、Facebookで一新塾に出会い、説明会に参加。「ここで学べば長年の願望を叶えられるのでは」と思い、東京本科に入塾しました。

一新塾では、袖ケ浦での活性化をテーマに何か活動を立ち上げたいと思い「袖ケ浦で民泊」をテーマにリーダーとして手を挙げて、仲間を募りました。メンバーが二人集まってくれたので、一新塾のプログラムに沿って活動をスタート。そんな姿を見ていた袖ケ浦の人が「そんなに地域で活動したいなら、来年選挙があるわよ」と市議会議員への道をすすめてくれました。父親が選んだ袖ケ浦の地で政治の道にチャレンジするというのは、驚く展開ではありましたが、一新塾ではサラリーマンの方がたくさん政治家になられているので、まずはやってみようと思いました。幸い自分は独身、母親が許してくれたので、「4年間違う世界を見てみるのも良いのでは」とチャレンジすることにしました。

袖ケ浦の人は優しくて、色んな方に相談したり、お願いしたり励まされたりしながら、2020年に初めて袖ケ浦市議会議員に当選。一新塾では市議になっても学びを続け、様々な知恵を得たり、プレゼンスキルや地域活動も相談にのっていただきながら一期目を歩みました。そして2024年には二期目にも当選することができました。袖ケ浦は本当に可能性に満ちた場所です。亡き父が選んだ袖ケ浦の地域のために、これからも貢献してゆきたいと思います。

伊東あきら(袖ケ浦市議会議員)

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