塾生の声

一新塾卒塾生からのメッセージ

市来広一郎 氏

NPO法人atamista代表
株式会社machimori代表
熱海の奇跡 著者
一新塾18期卒塾
一新塾OB講師
NHKや「カンブリア宮殿」にも出演

◎入塾前は会社員
→カフェとまちづくり会社起業
ゲストハウス・シェアオフィス運営


「生まれ育った熱海の発展のために起業」

生まれ育った熱海を何とかしたい、そんな想いで18期に入塾しました。同じように自分の地域をなんとかしたいという志を抱く仲間と出会い、一新塾東京本科のプロジェクト活動(立ち上げ体験)に取り組みました。入塾中の2007年3月にそれまで働いていた会社を辞め、熱海での活動を開始しました。

2009年から「熱海温泉玉手箱(オンたま)」の発起人/実行委員長として、商店、旅館、農家、漁師、NPO、ボランティアなど、地元の、地元の人による、地元のための地域体験プログラムをプロデュース。その後、シャッター街の商店街の再生に、リノベーションでカフェ、ゲストハウス、シェアオフィスをオープンしました。

地域に変化を起こすことができるのは、一新塾での実践的な学びがあってこそ。
一新塾には、自分の使命を見つけだし、それを行動に移せる環境があります。


高度成長期、熱海は団体客誘致によって年間530万人の宿泊客が訪れる全国有数の温泉地でした。しかし2011年には246万人と激減。熱海の人口は1965年のピークの5万4千人から激減。高齢化率、生活保護者率、出生率、未婚率、いずれも静岡県内ワースト1位の課題先進地。
しかし、「衰退しているから、以前のように、たくさんの観光客を呼ばなくては」とは思いません。過去の延長戦でなく、新しい熱海へと再生させていくことが必要だと思っています。

私は1979年に熱海で生まれ育ちました。親は熱海駅裏の企業の保養所の管理人でした。かつての熱海は団体旅行や宴会で賑わい、人があふれていた熱海銀座でした。しかし1990年代には、誰も歩いていなくて、海岸沿いはさびれ、廃墟のような街並みです。
高校時代は「何とかしたいなあ」と思いつつも、それが仕事になるとは思ってもみませんでした。

大学時代はバックパッカーで世界各地を見て回ると「やっぱり熱海を何とかしたい。熱海って意外にいけてるんじゃないか。潜在的に可能性を秘めているのにもったいない!」と思っていました。

生まれ育った熱海の自然、、商店街が残る街並み、歴史文化の積み重ねなど、可能性はずっと感じていました。さらに首都圏からの近さは、暮らす場、訪れる場としてこれほど潜在的な魅力を持った「まち」はないのではないかと思っていました。 

反面、日本社会に対して感じてきた違和感がありました。旅先のインドから帰った時、日本に漂っている閉鎖的な空気に衝撃を受けました。人の目が死んでいるように見えて、「おれはこんな国で生きてきたのか。そしてこれからこんな国で生きていくのか」と怖くなりました。

仕事はビジネスコンサルタントに就いて、やりがいは感じていましたが、顧客企業には貢献できても、社会を良くしているという実感が伴わなかったのです。都会では、大きなストレスを抱えながら必死に努力している人々がいて、周りを見渡すと、どの企業でも心身を病み、脱落していく人々は少なくありませんでした。

一新塾には同じように社会に対する違和感を感じている人、そして、何かを行動したいと思っている仲間がたくさんいました。そして、すでに多くの先輩たちが社会を変える行動を起こしていることに気付かされました。

さらに一新塾で得たものは、自らの根っこにある思いをさらけ出し、その上でアクションを起こしていくことの大切さでした。それは「たった一人の小さな思い、小さなアクションが大きな変化を起こす」のです。自分自身の行動を通じて、多くの塾生の行動を見て実感していきました。

そして、「自分がやるべきことは熱海にある」そう確信した時、会社を辞めて熱海に帰ることを決意しました。
一新塾卒塾式の直前、働いていた会社を辞めて、東京から地元熱海に帰って、地域づくりに取り組むことにしました。そしてNPO法人atamista を設立し、熱海の魅力を体験する交流型プログラム「熱海温泉玉手箱(オンたま)」のプロデュースを通し地域づくり、地域の人材づくりへの挑戦がスタートしました。(続きは一新塾講義にて)

市来広一郎(NPO法人atamista代表・株式会社machimori代表)

株式会社machimori

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