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今回は一新塾第22期(2009年5月卒塾)の日向裕一さんのメッセージをお届けいただいます。
日向さんは、瀬戸内の真ん中に位置する大崎上島在住の詩人です。創作された詩を「ヒナタ文学」として発表されています。3年前に古民家にヒナタ文学堂という観光案内所・休憩所・憩いの場・フリースペースをオープンしました。
日向さんの志を生きる挑戦をお伝えさせていただきます。
塾生活動レポート
私は、中学校1年生の二学期から不登校となりました。
原因は、いじめ、嫌がらせ、精神的苦痛でした。当時の担任の先生からは、「登校しなければ中学校の卒業を認めない」と言われました。
周囲の大人たちは、私の表明的な明るさ・元気な外面だけを見て判断をしていました。私の両親、とくに父親は仕事が忙しく母親に「なぜ、学校へ通わないのか」と強く怒りの心を持っていました。私は、遺書も書いたり、母親への家庭内暴力もしたり、泣き叫んだり、地域の保護者からは冷たい目で見られていました。そして、同級生から「害児だ」と言われたり、「お前、殺さるぞ」との暴言を言われてきました。私は、ますます心を閉ざしました。
ある日。保健室の先生が「適応指導教室」を紹介してくれました。そこに通う学生たちとの出会いは、私にとって本当に楽しく安心して過ごせる居場所でした。
そして、当時、私の人生の支えとなったサッカーボールとの出会いがありました。私は、サッカーに夢中となり、毎日、サッカーのことを考えていました。他校の先生は、私のサッカーにたいする情熱を理解してくれて知り合いを通しフジタ・ジュニアユースの練習生として参加させてくれました。後にフジタ・ユース(ベルマーレ平塚)に所属することになりました。国際サッカー専門学院で一年間、猛烈な練習をしましたが、プロの実現は叶いませんでした。この体験が過去の私であり、心の苦しみを隠してサッカーへの道に行きました。家族にも友人にも心の苦しみを打ち明けることができなかったです。
私は、沖縄調理師専門学校を卒業して調理師免許と技術考査(調理学科)を取得しました。広島県に帰り、飲食店で働き始めました。当時、20歳頃です。
しかし、就職した飲食店に、いじめグループが嫌がらせに来ました。結局、嫌がらせが続き一ヵ月で退職して、心の病になっていました。当時は、いじめグループから逃げることを考えて県外のコンピュータ専門学校に入学しました。ですが、体調が悪化して中学校時代と同じく不登校になり、その間、救急車に何度も運ばれました。
東京での新たな挑戦は、作詞家になることでした。
私は、12歳頃から詩を書くのが好きでした。私は、音楽プロダクションのオーディションを会場・東京国際フォーラムで受けて合格しました。スタジオで作詞担当となり、プロジェクトに参加しました。また、音楽業界セミナーにも積極的に出席したり、一生懸命に音楽活動していました。
しかし、突然、身体が震えるほどのめまい、心の爆発みたいに猛烈な不安感となり、荷物をまとめて広島県の家に帰郷しました。22歳頃です。結果的に、パニック障害、心身症、思春期障害、統合失調症の病気と診断されました。お薬の副作用と自暴自棄で体重も短期間で100キロとなり、最高体重160キロになりました。リストカット、自殺未遂4回、肺水腫、心不全、呼吸不全などで意識不明の重体にもなりました。その後も入退院を繰り返しました。
今現在、私が住んでいる場所は、広島県豊田郡大崎上島町です。母親の実家である築100年の古民家に住んでいます。私は、大崎上島の出身で中学校時代は、広島県内の他の地域に住んでいました。根本的な原因は、中学校時代の「いじめ」「中学校時代に周囲の理解が無かった」ことです。
私は、プロレスラーの友人とインド、アメリカには一年間で四回、千葉県での合宿も数回などを経験しました。私がインドに行ったのは、アーユルヴェーダなどの療法を受けるためでした。ある時私は、自分自身にたいして素直に見つめ直しました。それまでは、殻に閉じこもり現実逃避していました。国内外での経験によって言葉では言い表せないほどの真心と愛を感じました。一つは、母親の愛情でもあります。ずっと、私と共に苦しい体験をしている中でも愛を絶やすことがありませんでした。実は、私がインドへ旅をしたのも母親の直観でした。そして、プロレスラーのホームページを見てインドへの旅を知りました。それが、一つの大きな転換期の始まりでした。
私の自己体験で言えば、直観、素直な気持ち、愛と心、人生観、世界観、地球観、宇宙観、死生観が重要だと気づきました。そして、母親の寛大な愛情によって世界への旅もできました。様々な価値観、文化を知り気づき、少しずつ人間成長できました。
22歳のときに古里の大崎上島に帰りました。母親に「中学校時代が辛かった」と伝えたとき、涙が溢れだしました。
その後、心の病も少し安定したときに、8年前に「ヒナタ文学」という冊子創刊の一号を自費出版しました。部数は、50部。
人生のスタートラインに立てた気持ちになりました。年々、部数は増えてゆき、今現在、10号を自費出版して累計一万部を達成しました。
また、ホームページには、ヒナタ文学7号~10号の電子書籍(無料)を掲載しています。
そして、3年前に古民家にヒナタ文学堂という観光案内所・休憩所・憩いの場・フリースペースをオープンしました。今まで大崎上島に無かったことを誕生できた喜びは、私だけではなく、両親も幸せに感じています。それが、私の人生観をチェンジすることになりました。
そして、私は、詩人、作詞家、作家、エッセイスト、写真家の目標ができました。文学だけではなく、教育、心の相談、カウンセラー、食育、福祉、観光、町づくりも積極的にしています。ヒナタ文学の任意団体も設立しました。2016年に三大宮様賞の「東久邇宮記念賞」と、文化の日に「東久邇宮文化褒賞」を受賞しました。また、2018年には、冊子・ヒナタ文学11号を発行する企画もあります。
私は、生まれて初めて同志という言葉の深さに気づきました。
友人、親友、家族と違った、何かに挑戦できる一新塾の仲間の存在は、私に生きる情熱を感じました。
私が一新塾に入塾したのは2008年、志と信念をもって心の病から脱却して歩んでいきたいとの思いが湧き上がったからです。当時、私は一新塾の研修で「ファミリー・コミュニケーションズ」というプロジェクトを立ち上げました。理由は、私と父親の親子関係です。
私は、父親からのアドバイスも、父親への相談も、父親との会話もなかったです。家族が会話をすること、朝起きて「おはよう」などの基本的なプロジェクトですが、私の人生で父親の存在は、猛烈に恐かったです。父親は父親で家族を強く考えての企業戦士でした。
このプロジェクトは、今現在、「ファミリー・コミュニケーションズ」は完了して、毎日、私も母親だけではなく、父親との会話も楽しくしています。その経験は、現代社会の家庭でも言えることです。プロジェクト立ち上げ当初に活動していた一新塾の仲間にも大崎上島へ来て頂きました。私にとって同志とは、まずは、一緒に自分自身を見つめ直し、一緒に家族を見つめ直してか始まることだと感じました。
私の大きな夢は、日本代表の世界詩人になることです。過去ではなく、現実を大切に生きて、未来へ前進してゆきます。そして、人と人との善い出会いは、無限の可能性を生み出しています。そして、かつて私苦しめた「いじめグループ」を許す心で生きています。私は37歳となり命と生きる勇気、多くの助け・支え・理解に感謝しています。
今現在は、現実を直視して死生観を常に考えて生きています。自分自身にたいして失望・悲観などを体験したことが、今となれば人生の肥やしとなっています。
私の古里・広島県豊田郡大崎上島町は、瀬戸内の真ん中に位置する離島です。温暖でエーゲ海のような場所です。大崎上島には橋が架かっていませんので日本を縮図した小さな楽園とも言えます。
私の将来的ビジョンは、豊かな心の人間成長が重要であり、広い価値観、広い視野と、柔軟な心も大切だと感じています。世の中は、お金と物質だけではなく、人間としての幸せな人生の道を創りたいです。たしかに、橋が架かると交通にしても便利になってゆきます。しかし、大崎上島は、橋の架かってないことで移住者も増加しています。また、海外の旅行者も訪れています。
小さな楽園の自然あふれる島の魅力を世界へと発信できるようにしてゆきます。日本一幸せな離島社会の実現こそ、大きく言えば日本社会の幸せへとつながると感じています。
◆「ヒナタ文学」公式ホームページ
http://www.hyuga-yuichi.com/
このたび、新しい一新塾本を出版いたしました。
「誰もが志を生きるガイドブック」です。
本書では、新しい時代を拓く鍵である『根っこ力』に迫ります。
自らの「根っこ」に根差して、社会創造に挑んでいったときに、何が起こるのか。
社会変革者の先駆者の実践が、次に続く方にどのように伝承され、人生にどのような化学変化が起こり、どのような社会変革の行動が生まれてきたのか。
あらゆるバックグラウンドの一人ひとりが、市民として志を生きるチャレンジに挑んだ実践例を通じて、その計り知れない可能性を感じていただきたいと思います 。
時代の転換点、これまでの敷かれたレールは崩れ、社会のあり方も人間の生き方も問われ直すこのタイミングで、この本によって、あなたも志を生きる挑戦に
一歩踏み出していただきたいと思います。
こちらからご購入いただけます。
(1)アマゾン
https://www.amazon.co.jp/dp/4863591306/
(2)一藝社
http://www.ichigeisha.co.jp/
(3)一新塾
http://www.isshinjuku.com/03bosu/b_issryku_book.html
【目次】
はじめに
1 伝承される市民の知恵
2 志を育む場はこうして生まれた!
3 すべての人が志を生きるための道
元三重県知事・早稲田大学マニフェスト研究所顧問
北川正恭 「生活者起点で一点突破、全面展開」
(株)日本総合研究所 調査部 主席研究員
藻谷浩介 「里山資本主義で描く日本の未来」
NPO法人アサザ基金代表理事
飯島 博
「霞ヶ浦再生に向けて28万人の市民が参加したアサザ・プロジェクト」
非電化工房主宰・日本大学工学部教授
藤村靖之 「地方でいいことで愉しく稼ぐローカルアントレプレナー」
評論家・JET日本語学校 名誉理事長
金 美齢 「日本と台湾の懸け橋でありたい」
社会活動家・法政大学現代福祉学部教授
湯浅 誠 「貧困の現場から見える日本社会」
NPO法人自殺対策支援センターライフリンク代表
清水康之「誰も自殺に追い込まれることのない社会」
元三鷹市立第四小学校長・元三鷹市教育長・東京家政大学特任教授
貝ノ瀬滋 「地域と学校をつなぐ、コミュニティ・スクール」
一新塾理事・山梨県立大学名誉教授
前澤哲爾 「日本にフィルム・コミッションをつくる」
★一新塾の講師のすべての皆様に感謝を込めて(1994年~2017年)
グッドモーニング仙川!プロジェクト代表
児島秀樹 『誰もが自分の街のキャスト(出演者)になれるまち』
「渋谷のラジオ」ファウンダー・チーフプロデューサー・「渋谷みつばちプロジェクト」代表
佐藤 勝 『市民・企業・行政が本音で協働できる情報プラットホーム「渋谷のラジオ」』
ペットシッター・ペットホテル「ニャンワンクラブ」代表
菊池信恵
『「るーぷる仙台」に手を振ろう~受容する街をめざして』
「旅宿 コットンクラブ」ペンション経営
早野慎哉
『地元、阿蘇の「阿蘇らしさ」を後世に残すために』
NPO法人atamista 代表理事・株式会社machimori 代表取締役
市来広一郎
『100年後も豊かな暮らしができる熱海をつくる』
合同会社VALN代表社員・NPO 法人ワップフィルム事務局長
菊地真紀子
『商店街を舞台にした、多様な人が集う居場所づくり』
株式会社たびえもん代表取締役
木舟周作
『旅育を提唱する「たびえもん」の挑戦
(株)くつろぎ宿代表取締役社長・(株)せせらぎ宿代表取締役社長
深田智之
『事業を再生させ、地域を再生させる!~会津東山温泉の三旅館の同時再生』
NPO法人マザーリンク・ジャパン代表
寝占理絵
『災地支援で知った「母子家庭の貧困」や「子どもの貧困」』
NPO法人大阪子どもの貧困アクショングループ(CPAD)代表
徳丸ゆき子
『子どもの貧困を解決するシングルマザー100人調査を起点に』
NPO法人病児保育を作る会代表理事
賀川祐二
『安心して預けられる病児保育を当たり前のサービスへ』
株式会社Culture Generation Japan 代表取締役
堀田卓哉
『日本文化の継承と世界への発信』
映画監督・執筆業
野田香里
『異なる価値観や違った文化が触れ合うことで、人は元気になる、社会は進化する』
(株)みやじ豚 代表・NPO法人農家のこせがれネットワーク代表理事
宮治勇輔
『一次産業を「かっこよくて、感動があって、稼げる」3K産業に』
株式会社MITU代表
佐藤好宣
『ソーシャル・ファームバレーせんだいプロジェクト』
一般社団法人happy choice 代表理事
白根邦子
『すべての人間の価値がお互いに認められる社会へ~障害者の施設製品を社会へ』
NPO法人両育わーるどファウンダー・feese運営責任者
重光喬之
『知的・発達障害児と関わる人がともに学び合う、「両育」のある社会へ』
オムソーリ・プロジェクト代表
齋藤 哲
『認知症から家族を守る、分かち合い社会の実現』
株式会社スタイリッシュハウス代表取締役
佐藤秀雄
『絶対やりたくないと思っていたことが生きるテーマに』
NPO法人 生き活き元気塾 代表理事・塾長
本多慶吉
『介護予防体操で、高齢社会に挑む』
生きがい訪問診療所 院長
木暮 裕
『自分で居場所や治療方針を選択できる医療』
株式会社ペイシェントフッド代表取締役
宿野部武志
『腎臓病・透析に関わるすべての人の幸せのために』
医療法人社団鉄祐会理事長
武藤真祐 『在宅医療の現場から高齢先進国モデルをつくる』
株式会社レアジョブ創設者
加藤智久
『世界中の人々が国境や言語の壁を越えて活躍できる社会』
NPO法人未来をつかむスタディーズ代表理事
河内智之
『誰もが自分らしく生きられる世の中へ』
うらやす子ども起業塾 運営委員長
峰松めぐみ
『うらやす子ども起業塾~失敗を恐れず Let's challenge』
谷町キッズポップフィルハーモニー楽団設立・応援団長
北原さとみ
『「谷町キッズポップフィルハーモニー楽団」立ち上げ』
La CLo 代表・NPO法人親育ネットワーク代表理事
黒田忠晃
『総合共育で夢や目標を持てる人を育みたい~仮説から確信へ』
千葉市長
熊谷俊人 「日本変革に向けて地方分権のモデルを千葉で創る」
宇部市長
久保田后子
「暮らして良し!働いて良し!わがまち創生チャレンジ!
山口県内で、初の女性市長」
上峰町長
武広勇平 「オンリーワンのモデルを目指す」
金沢市長
山野之義 「自立した市民が新しい金沢を拓く」
柏市長
秋山浩保 「主体的市民の輪を広げよう」
豊明市長
小浮正典 「壁のない豊明市を市民一丸で実現する」
枚方市長
伏見 隆 「未来への投資~ 20年後の枚方のために」
1 一新塾の根っこ力を育むプログラム
2 誰もが志を生きるマネジメント
3 一新塾を支えてくれる、志を生きる同志からのメッセージ
あとがき
プロフィール NPO法人一新塾 森嶋伸夫
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【一新塾のプログラム「政策提言」「社会起業」「市民活動」】
東京本科:
http://www.isshinjuku.com/curriculum/tokyo.html
大阪地域科: http://www.isshinjuku.com/curriculum/osaka_nagoya.html
名古屋地域科 : http://www.isshinjuku.com/curriculum/osaka_nagoya.html
仙台地域科: http://www.isshinjuku.com/curriculum/sendai.html
通信科:
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