■ 塾生活動レポート
一新塾第30期・32期 東京本科 野村諒子
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メルマガ読者の皆さま、こんにちは。一新塾の森嶋です。
今回は、一新塾第30期・32期を卒塾された野村諒子さんのメッセージをお届けいたします。
静岡県三島市で“居場所と出番がある人が輝く地域づくりを!!”をモットーに、NPO活動を通じて、そして、三島市議会議員として地域変革に奮闘されている野村さん。一新塾には、2年にわたって、三島から東京の一新塾教室に通っていただきました。
コミュニティカフェ「ジモット」を開設し、“人が輝く地域オアシス”づくりを実践されています。利用者の声から、三島産のデザイン竹炭の製品開発・販売も進んでいます。
野村さんの志を生きる挑戦をお伝えさせていただきます。
自己肯定感や自尊心を失ってしまった人でも、ありのままの自分を認めてくれる仲間を得られる場所が、地域の中にできれば「こんな自分でも、いいんだ」と、自己肯定感が得られます。
日本人の人を思いやるこころ・・・それを感じさせる居場所づくりがあちこちで実現すれば生きやすい社会となります。
あいさつに始まり、あいさつに終わる。ただ、それだけの居場所であっても、人は自分を受け入れてくれる場所だと感じます。
今の日本には、こんな当たり前の場所がなくなってしまいました。
交通事故死亡数に比べ、自殺者数が約6倍の日本を変えるには、無縁社会、無関心社会を放置せず、「ありのままのあなたでいいんだよ」と、他人同士で認め合う場をつくりだすことが必要です。
バブル崩壊後、日本経済のグローバル化を押し進めた結果、不安定な就労である期間限定の契約社員が大量にできました。特に派遣社員として、必要とされる工場や地域を移動する人が増え縁もゆかりもない地域でのひとり暮らしをする若者が増えています。
彼らは、友達も少なく、頼りにできる大人もほとんどいません休日の過ごし方も計画性がなく、ネットカフェやゲームセンター等で過ごすしかなく、暮らしの中で潤いや希望が持てる環境ではありません。
沼津駅前の市民活動センターを運営していた時のこと、このような若者が何人も、不安定な精神状態になり体調を崩して助けを求めてやってきました。彼らの肉親は、連絡しても全く無関心な人が多く、「生家は更地で帰るふる里はない」と語る若者も何人かいました。
そんな中、秋葉原無差別殺傷事件を起こした加害者が隣の街に住んでおり、使用したレンタカーが、当センターの近くで借りたものだったことから彼らのような若者を放置できないと強く感じました。
20代、30代の死亡原因の一位が自殺、という現実も無視できない事実です。こんな日本社会を変えることは、その若者を育ててきた私たち団塊の世代の責任でもあります。
結婚し家庭に入った女性は、社会との関わりが薄いまま日々を過しています。特に子育てを人生の最大の目標にしていた人の場合、子どもが巣立った後の自分の生きる目標をうまく見いだせない人も少なくありません。その結果、自己肯定感を持てない不満を、社会への不満、家族への不満など外に向かって不満をぶつけがちですし、その結果、その人の周りで問題も多く発生してしまいます。
また、子育ての目標を、自分が成し得なかったことを子どもに達成させることにした場合は、いつまでも子離れ親離れができず、長期化した問題となってしまいます。
40代、50代で同じ年の子どもを持つ友人二人を、自死で亡くしました。二人の共通しているところは、どちらも非常に優秀なエリートの夫を持ち専業主婦で、経済的にも裕福な家庭であり、子供たちも優秀だと言う事です。
何不自由ない家庭でありながら、何故、死を選んでしまったのか本当の所はわかりません。でも、それまでの彼女たちの言動を思い起こせば、優秀な子どもを育てることが生きる夢であったように思います。子どもが親の思い通りの生き方をしなかった事や、子どもが巣立った後は自分だけが家族から取り残されている思いを持っていた様子が伺えました。
早い段階で子離れし、自分のできる能力を活かして社会との関わりを持つことができるようになれば、人として輝いて生きる目標を見出すことも出来たのではないでしょうか。
人としての生き方は、社会の制度やニーズに大きく影響を受けます。高度経済成長期の日本は、深夜まで働くサラリーマンを支える為に結婚後は女性が家庭に入り、子育てに専念してきました。
子どもと向き合う時間が長ければ長いほど、過干渉過保護になり、子どもの将来の夢や職業観まで影響を与えるようになりました。
それは、多様性を認めるものではなく、デスクワーク的な仕事を良しとする、均一化した職業観が増えたように感じます。
その結果、技術工など現場で働く職業は、軽く見られがちです。
そのことは、希望通りではない職業についている人は、職業への誇りや生きる肯定感も持てなくなります。また、現在社会は家族との絆なども薄くなり、家族や社会とのつながりを持てずに孤立化した若者が増えてきました。
過干渉過保護の子育てをしてきた親の場合、子どもが巣立った後の生き方では、社会とのつながりを持てない場合も多く、空虚感を感じつつ、自己肯定感を持てずに問題を内在化してしまう人や周囲に不満をぶつけ、家庭不和に陥るケースもあります。
子育て後に、健全な生き方を持てない人も少なくありません。
経済的、物質的な豊かさを求めてきた日本は、多様な生き方や考え方を認める価値観を失ってしまいました。
人にとっての幸せや安らぎは、経済力や大成することだけではなく、ありのままの自分を認め合うこと、多様な価値観、生き方を認めどのようなものであっても、「いいんだよ」と肯定できる社会であることが大事だと思います。
私が生まれたのは、昭和27年。富士山の麓の静岡県駿東郡小山町。
神奈川県、山梨県との県境の町です。
子供時代は、まだまだ貧しい家庭も周囲には多く、障がい者も同じ学校で学び、地域でも多く見かけました。そういう社会の中で、多様な生き方、能力の違い、家庭の違いがあることも学び、戦中戦後の時代の理不尽な環境の中でも逞しく生きる人々をたくさん見てきました。
大学卒業後、自閉症の子ども(幼児)の専属保母として、障害児教育に関わり、障害児親子を通じて、多くのことを学びました。
特に感動したことは、親自身が、障害児を持った現実を受け入れ、大きく成長していく姿でした。 人は、思いもよらない理不尽な状況に陥った時、その現実と向き合う過程の中で成長し、乗り越える勇気と元気を持っていることを知りました。
28歳で未熟児でやっと育った次男を、安全マークのおもちゃの事故で亡くしそれまで、それほど大きな苦労もなかった人生が大きく崩れていく経験をしました。
周囲(家族)の無理解、非難の目から、自分自身で解決しなければならないことを感じ、次の犠牲者を出さない為に、製造元に対して声を上げ、その結果、乳児用のおしゃぶりの大きさの基準が出来ました。当事者が声を上げる重要性を感じ、同時に声を上げる事で社会は動くことも知りました。
その後の人生においては、3人の子育てをしてきたものの、自分自身に自信が持てず、自分の人生の目標も見失いがちとなり、暗い30代、40代でした。
子育てへの自信のなさから、どうしても過干渉の子育てをしてきましたが末の息子が小学生の時「僕の人生は僕が決める、お母さんじゃない!」という一言で目が覚め、その後の私自身の人生をどう生きるか考える様になりました。
47歳の時、結婚以来22年間の子どもの為、夫の為という専業主婦からもう一度、自分自身がしたいこと、学びたいことと向き合い、「60歳になっても打ち込めるものを身につけよう」と決心しました。
メンタルケアの研修、NPOの研修、その後の15年間は研修と実践の毎日となり、今に至ります。
人は、資格がなければダメ、条件が合わなければダメ・・などと、できない理由を探しがちですが、「出来るようにするにはどうするか」を考えていくと大きく道が開ける時がきます。
大きな目標設定ではなく、目の前の課題、問題解決の繰り返しの中で経験を積み、その経験から次のステップに進む繰り返しであっても、振り返って見れば大きな前進であったと感じます。
「こんな私でも役に立つんだ」という、僅かな肯定感を得られる機会が「自分が社会の役に立つんだ」という自尊心へとつながる経験をしました。
子ども時代から多様な生き方を見てきましたが、人は想像以上に逞しく生きる力を持っています。
しかし、戦後世代の私たち世代が育てた今の若者は、過干渉の中で均一の価値観しか持ち合わせていない傾向があります。一定の路線から外れた人は、幸福感も自己肯定感も持てない傾向にあり、その親も、同じような感覚に陥ってしまっています。
このような社会に生きる人々は、実際以上に課題を大きな問題化して生きているし、生きにくさを感じています。そこに大きな社会の問題も生まれてきています。 想像以上に自分を不幸と思っているし、社会に対して不満を持っています。
だから、地域の中で無縁社会と感じて生きにくさを感じている人に対し少しでも声をかけたり、関係性を気づく場をつくることが必要になってきたと感じています。
私自身、28歳からの人生は多くの人に支えられ、助けられて生きてくることができたと感じています。だから、これからの人生は少しでも生きにくさを感じている人の役に立ちたいと感じ、「自分にできること、自分にしかできないこと」を探して、残された人生を歩もうと思っています。
それが、私だからできる使命だと思います。
地域の皆さんの拠り所として、コミュ二ティカフェを開設しました。疲弊してしまった商店街の一角で、地域の皆さんが気楽に立ち寄れる場所を提供し、棚ショップ、サークル活動、教室などの場を提供しています。
誰でも気楽に立ち寄れる雰囲気を大事に、おしゃべりだけの利用も歓迎、「こんにちは」「元気でしたか」という、声かけから始まり、「また、寄ってくださいね」と見送ります。
こういうさりげない挨拶が、一番大事だと思っています。
ここを利用する利用者の声から、ジモット発の製品開発も生まれ「美しま竹炭」として、三島産のデザイン竹炭も販売を始めました。
このプロジェクト推進には、企業、デザイナー、なども参画し製造には,障がい者の参加も考えたプロジェクトも進んでいます。みんなで知恵を出し合えば、それこそ「みんな居場所」になって行くと思って、頑張っています。
街中に繰り出して販売する、ジモットショップの仲間も集まり100人登録も目指しています。
名 称 コミュ二ティカフェ:ジモット
場 所 三島市徳倉 1-20-7
電話/FAX 055-946-6841
ブログ ジモット http://jimotto.i-ra.jp/
一新塾体験セミナー&説明会のご案内です。
【主な内容】
●試練の時代を乗り越える自分軸の作り方
●道なき道を切り拓く現場主義とは?
●不可能を可能にする同志とのコラボレーション
●削ぎ落とす学びで「もやもやの思い」から「鮮明な志」へ
●「根っこ」と「幹」をつなげるフレームワーク「6つの箱」
●一年間で人生と社会をここまで変える!
●なぜ3つのコースがあるのか?(政策提言・社会起業・市民PJ)
●塾生・卒塾生の挑戦の紹介
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【東京・大阪・名古屋・仙台】
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●学び
『多彩な社会テーマ講座』
『ミッション基軸の社会変革プロジェクト立ち上げ』
『現場視察&コンサルティング(チーム・個別)』
平日夜間・土日で学びます(月4~5回程度)
●コース:政策提言コース
社会起業コース
市民プロジェクトコース
※3つの方法論のすべてが学べます。
●科 :本 科(東京)
地域科(大阪・名古屋・仙台)
通信科
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【プログラム】
東京本科:
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通信科:
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