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メルマガ読者の皆さま、こんにちは。一新塾の森嶋です。
2010年11月に一新塾第27期に入塾された重光喬之さん。
2011年2月に5名の一新塾の仲間と共に「療育は両育」プロジェクトを立ち上げました。
チーム全員で現場に何度も足を運び、プロジェクトは着々と前進してきました。プロジェクトにかける熱き重光さんの思い、ぜひ、じっくりお読みください。
"療育は両育プロジェクト"一新塾27期の重光喬之(32歳)と申します。30歳までIT企業に勤めつつ、曲作りやクラブでのライブ活動を行っていました。
20代半ばまでは、どちらかと言えば自分本位な日々を過ごし、反面、自己防衛のため接する人全てに気を遣い、感情を抑えながら生きていました。仕事では、特に目的意識も持たずパターン化して過ごし、人との付き合いも表面的なものでした。音楽イベントでは、収支や集客に目が行き「なぜ、スタッフは動いてくれないのだろう」と感じていました。
そんな私ですが、バンドの相方に誘われ調布市内の知的障がい児者療育施設と関わり13年になります。当初、私は"ボランティア≒偽善ぽい"という先入観を持っていました。
ところが、この施設で知的障がい児と向き合ううち、障がいの有無に関わらず人は各々さほど変わらず、私自身が"ボランティア"と"彼ら"に対し、無関心や無理解からくるイメージに惑わされていたと気づきました。
知的障がい児者と向き合あったことは、「私の人生観」や「私の人との接し方」の転換のきっかけになりました。彼らと試行錯誤しつつやりとりするうち、他者との関わりにも積極的になり、人の成長に喜びを見出すようになり、なにより人に関心が持てるようになりました。また、当プロジェクトの対象となる療育施設の施設長との出会いも、私の人生観に幅をもたらしました。このことが、私がこのテーマに取り組むきっかけとなりました。
私の考える療育とは、知的障がい児の自立への後押し・支援の取り組みのことをいいます。具体的には、彼らが社会の中で共生し、少しでも生き易いように、基本的生活習慣の獲得から始まります。社会性を身に着けるために、彼らなりの意思表示の芽生えや表出、言語の習得を目指します。実践では、マニュアル化されたスキル・ノウハウよりも、信頼関係を築きながら一人ひとりの状態に応じた適切な課題をステップアップし、"できること、褒められること"への自信や喜びに繋げていきます。
多くの方は、知的障がい者との関わりにおいて、「彼らはできないだろう、わからないだろう」と決めつけてはいないでしょうか。言い換えれば「彼らから与えてもらうことはないだろう」と。この状態が続くと私たちは、彼らを"できない人・してもらうだけの人"へと追いやり、成長や自主性の芽を摘んでしまいます。
特別支援学校に通うA君、通所当時は褒められても喜びを感じず、喜怒哀楽よりも快不快の判断に基づいて生きてきたように思えます。彼は、療育の場で年々成長し集団を意識し、他者とのやりとりが行えるようになってきました。
そんな時、私は気ままに行動しているように見えた彼に「世の中には思い通りにならないこともあるんだよ」と少し怖いお兄さんを演じ、接していました。この時の私は、彼の行動の背景を読み取り、推測するという発想がありませんでした。自発的な言葉を持ち合わせていない彼が、表現に苦労しつつ、私と向き合っていることに思い至りませんでした。彼と出会ってから数年が経過し、やりとりはテクニック的になっていました。
ある時、彼と一緒に新宿駅で他の学童を待つ場面がありました。自閉症の彼は、私達と違い、耳に入ってくる音の取捨選択ができません。頭の中は、きっと音が騒音のように溢れていたのではないでしょうか。そんな彼に対し私は、「待ちなさい」と半ば強制していました。彼は、慣れない多くの刺激から逃れるため常同行動(同じ動作や行為を逃避や遊び等のため何度も繰り返し行うこと)を始めました。再度私は、「お兄さんでしょ!しっかり立って待ちなさい」と追い打ちをかけました。そんなやりとりの後、彼は刺激に耐えられず、苦痛を表出できず、我慢を強いた私に、突然、抗議の頭突きをしました。
その時は、痛みと彼を抑えることで精一杯でしたが、振り返ると「なぜ僕の行動を勝手に止めるの。苦しいからこうしているんだよ」と彼が伝えているように感じられ、パターン化した対応を押し付けていたことに気が付きました。
今では、彼らの不安を探り、少しでも安心できる存在でありたいと心掛けるようになりました。後日、彼が常同行動にふけっているのに向き合う機会があり、その時は寄り添うことで落ち着きを取り戻すことができました。
彼らの自立のための療育が、実はこちらにも学びの機会を与えてくれたと私は感じています。これを実感ベースの造語として"両育"と呼んでいます。施設長の言葉を借りると、「彼らとの関わりには、人と人の向き合いの原点がある。」私自身の両育変化を表すと、「"気遣い"から"気配り"」と「"パターン化・マニュアル化"から"個別対応"」になります。
結果的に、不要な緊張や警戒が薄れ、気持ちが楽に生きられるようになりました。この両育観から健常者同士でも、真摯に向き合えば立場や価値観を超え相互理解ができると確信しています。
日本では、療育手帳所持者は、5年間で30万から40万へと増加しました(判定基準・予算等で未所持者多数)最新の研究では、日本人の10人に1人が発達障害と言われています。調布特別支援学校では、5年間で生徒数が140人から200人に増えました。文科省発表では、全就学児童の8%(精神遅滞のない発達障がい児6.4%及び手帳所持児1%強)が発達障害に該当するとされています。
しかし、障害者自立支援法による助成金の減少により、人件費と手間の掛る療育は敬遠されています。また、福祉施設自体収入の大半を助成金に依存しており、国の方針次第で経営が左右されるという問題があります。
人手の必要な療育の場での療育者の確保・維持はとても困難になっています。調布市内では、療育として位置づけ知的障がい児向けに個別・集団指導を提供する6団体が、現在は1つのみとなりました。このままでは、一時預かり的な施設が増え、子供たちは"お客さんのまま"成人してしまいます。
社会に療育が普及し、療育者の質と数が向上し、個別・集団指導を提供できる場・団体が増え、知的障がい児の自立の可能性が広がって欲しいと願います。また、彼らは、"人との向き合い方"を見つめ直す機会を私たちに与えてくれます。彼らは社会が円滑に回るカギを持っていると、私は感じています。彼らが生き易い社会は、多くの人にとっても生き易い社会であると確信しています。
"療育は両育"プロジェクトでは、来年早々に療育普及の社団法人を立ち上げます。活動内容は下記4点です。
基金により療育者を養成し、療育活動の場が確保できれば、それに比例し子供たちの自立や成長の可能性が広がります。子供のうちに人手とお金を掛けることで、成人後の自立を促し、結果的に社会保障費抑制にも繋がります。
私たちは上記のプロジェクト活動と合わせ、今では数少ない療育施設が現状を打開する支援もしています。私が長年お付き合いしてきた施設で、職員の自己犠牲や周囲の温かい支援のもとなんとか成り立っている民間の療育施設です。春からの制度移行に伴い、新たな重荷を抱えています。下記対応完了の後、施設長は施設を後進に託し、療育スーパーバイズに専念します。
これらの活動を通し、知的障がい児の可能性が広がり、また、健常者と障がい者が分け隔てない社会が実現できればと願います。
私たちの取り組みをfacebookで発信し始めました。
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