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 一新塾ニュース~今のニッポンを変えろ!

    【 第464号 】 発行日:2011年10月13日

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■ 塾生活動レポート

『中越と岩手を往復して震災復興』

             一新塾第20期・24期 河内 毅

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     2011年10月19日(水)19:30~21:40
     2011年10月22日(土)15:00~17:30

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 メルマガ読者の皆さま、こんにちは。一新塾の森嶋です。

今回は第20期・24期の卒塾生の河内毅さんのメッセージをご紹介いた します。河内さんは、青年海外協力隊の任期を終え、グァテマラからご帰国 された直後に一新塾第20期本科に入塾。

「グァテマラの農村より日本の農村 の方がもっと危機的な状況にあるのではないか?」との思いから、在塾中に 新潟中越へ移り住み中越震災の被災集落の村おこし支援の活動に尽力をされました。 このたびの東日本大震災の復興支援では、岩手県の陸前高田市で、現地中間 支援組織の立ち上げの支援の活動に奮闘されていらっしゃいます。

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■■■■ 塾生活動レポート
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■■    『中越と岩手を往復して震災復興』
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 現在、私は陸前高田市において東日本大震災の復興支援活動に携わっています。 約五年前、青年海外協力隊の任期を終え、日本に帰国した時にはまさか自分が このような仕事に携わっているとは予想だにしていませんでした。

●青年海外協力隊から日本の地域へ

 協力隊から帰国当初の私の思いは、「"限界集落"などと騒がれる日本の地方 を元気にし、海外でもう一度胸を張って活動すること」そして「自分自身が受け 身ではなく主体的に活動すること」でした。そんな思いを抱いて一新塾へ入塾、 そこでの縁がきっかけで新潟県の中越に移ることとなり、すでに約四年の月日が 経過しました。

いろいろと紆余曲折があり、現在は当初思い描いていた「農村」 での活動から「災害復興・防災」へと活動のフィールドは変わったものの、 「日本の地域を元気にする」「主体的に動く」という自分の軸は以前より明確に なっていますし、行動へと移すことも出来始めているのではないかと思います。

●「自分が何か出来ると思うな!」

 私は、現在震災の復興支援のため、中越と岩手を往復する生活を送っていますが、 この四年の間に中越では本当に沢山の素晴らしい人に出会うことが出来、そして 様々なことを学ばせてもらいました。そして、その経験が今の東日本大震災の 被災地支援につながっていると思いますし、それを伝えることが私の義務でも あると思っています。

 私が中越に移ったのは中越地震から3年後の仮設住宅が閉鎖され、いよいよ これから地域の復興が本格的に行われようという時期でした。そんな中、私も 集落の復興支援に関わったわけですが、当時の上司からよく言われ今も印象深 く残っているのは「自分が何か出来ると思うな!自分では何にもできないと思っ て活動しろ!」という言葉です。

恐らく「自分一人ですべてを解決しようと思 わず、上手く周りをつかえ、巻き込め」という意味だったのではないかと思う のですが、当時は逆に自分を否定されたようで「そんなことはない、これまで いろいろな経験も積んできているのだし、自分にもできることはある」と心の どこかで思い、しばらくはもがきながら活動をしていました。

この言葉が自分の中で腑に落ちるまでは相当時間がかかりましたし、ひょっと したらまだ完全には理解出来ていないかもしれません。ただ、活動を行ってい る中で自分がするべきことは、ひょっとしたら自分自身が何かをすることでは なく、人と人をつなぐことなのではないかと感じるようになりました。

●「出会い・共有・協働」のコーディネーター

 被災地をはじめとした地域で活動を行っていると、様々な出会いに触れます。 その出会いはボランティアと地域の人であったり、地域の人と学生、ボランティ ア同士であったりと様々です。特に被災地に来る人たちや何か活動をしようと いう人たちはそれなりの気持ちを持った人が多く、その思いが通じれば高い確率 でそこに何かが生まれます。

そして、そこで生まれたものは当然私個人の活動 で出来ることの比ではありません。それが被災地であれば大きな復興の力になり、 被災地以外の地域であればそれは地域振興の大きな活力になる力を秘めています。

ただし、出会いだけではその時だけの一過性のもので終わってしまうことが ほとんどです。その出会いを互いにとって良いもの、有意義なものにしていく ことこそが大切です。例えば被災地にボランティアへ行ったとしても泥かき作業をしただけでは、例え満足感は覚えたとしてもまた同じ場所に来て何かしたい と思うことは稀ではないかと思います。

しかし、そこで相手の顔が見え 「ありがとう」という言葉が聞けるだけでも 違うでしょうし、その人から被災 当時のこと、家族のこと、地域のことなどについていろいろと話を聞けば尚更 思い入れが深まり、何かしてあげたいと思うのではないでしょうか。

 「出会い・共有・協働」とは、私が中越で教わった言葉の一つです。(この 言葉も当初はあまりピンとこなかったのですが(笑))出会いや交流は楽しいもの、気軽なものですが、それは単なるきっかけにしかすぎません。それをきっかけに出会った人達がその地域の課題や資源について「共有」し、その解決策 や有効利用の方法を共に考え、そして「協働」して課題解決などを行うことが、 最終的に地域復興や振興に結び付いていくのです。

我々に求められるのはその 「出会い・共有・協働」のコーディネーターの役割だと感じますし、今の被災地 そして日本に求められているのはこのコーディネーターの存在だと思います。

●陸前高田市で

 現在、私は岩手県の陸前高田市で、現地中間支援組織の立ち上げの支援をし ながら、現地の人々と共に仮設住宅の見守り支援やコミュニティー形成の支援 などを行っています。こういった中越で培った経験を少しでも多く陸前高田の 方々に手渡し、陸前高田の復興に生かしてもらえたらと考えています。なんて 書くと恰好良く聞こえますが、私自身、この段階から被災地の支援に関わるの は初めての経験であり、まだまだ被災者の方々としっかり向き合えていない、 動けていないというのが、正直なところなのですが、周りの支援団体などと 上手く連携を図りながら一日でも早く被災者の方々がやり甲斐、生き甲斐を取 戻し、安心して生活できるような支援をしていきたいと考えています。

 最後に誤解を恐れずに書けば、災害自体は本当に悲劇的なものですが、私は 災害は少なくとも二つのことをもたらしてくれるのではないかと思います。 それは人と人とのつながりであり、地域や人々が主体的に考え、動く力です。 中越では震災を契機として、新たなネットワークが生まれ、自分たちの集落は 自分たちで良くしようと活動を始め、震災前よりも元気になっている地域がい くつもあります。神戸で生まれ育ったボランティアやNPOの活動が中越へと伝え られ生かされたように、中越からもそういった考えを東日本に伝えていかなけ ればいけないと考えています。

 この震災を契機に少しでも日本社会を良くする。それが私たちの使命なのかもしれません。

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