2010/08
/17 【一新塾ニュース】第422号:
塾生活動レポート
『東京〜泉崎村間220キロを行脚!』

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          一新塾ニュース〜今のニッポンを変えろ!〜
          【 第422号 】 発行日:2010年8月17日
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■ 塾生活動レポート
         『東京〜泉崎村間220キロを行脚!』
                     一新塾第23期 本科 松澤 章

■【参加者募集】「第27期説明会」2010年11月7日(日)開講
   大 阪:8月28日(土)13:30〜16:00
   名古屋:8月29日(日)13:30〜16:00
   東 京:9月 1日(水)19:30〜21:40 【定員になりました】
       9月 4日(土)15:00〜17:30 【定員になりました】
       9月 8日(水)19:30〜21:40
       9月11日(土)15:00〜17:30
       9月15日(水)19:30〜21:40
   沖 縄:9月 3日(金)19:00〜20:30
   → http://www.isshinjuku.com/03bosu/b2_sietumei.html
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メルマガ読者の皆さま、こんにちは。一新塾の森嶋です。

2000年に約68億円もの赤字を背負い、財政破綻した福島県泉崎村ですが、
国の管理下に入る準用再建団体にならず、自力で財政再建する道を選択し、
“自立の精神”と“突出したアイデア”で自治体再生の道に挑んできました。

先頭に立って旗を振ってきたのが、福島県泉崎村長の故小林日出男氏です。
ちょうど 1年前の2009年8月5日に一新塾にてご講義をいただきました。
最大のピンチを再生のチャンスに変える小林村長に“主体的に生きる”とは
どういうことなのか学ばせていただきました。

今年6月19日から26日まで1週間かけて、財政破綻した泉崎村を元気に
するため、東京日本橋から泉崎村までの220キロを、泉崎村をPRしながら
行脚された一新塾第23期生の松澤章さん。

このメールマガジンでも、その熱きチャレンジをご紹介させていただきました。
今回は、松澤さんご自身に、一連のドラマと新たな挑戦に向けての志を語って
いただきました。ぜひ、ご一読ください!

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■■■■ 塾生活動レポート
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■■        『 東京〜泉崎村間220キロを行脚! 』
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一新塾23期OBの松澤章と申します。
現在34歳、栃木県に住むサラリーマンであり、二児の父です。
今年6月19日から26日にかけて、財政立て直しを進める福島県泉崎村を
元気にするため、また昨年急死された故小林村長との約束を果たすため、
東京日本橋から福島県泉崎村までの220キロを一人で歩き村のPRをしました。
一介のサラリーマンが何故そんなことをしたのか?その顛末をお話いたします。

●入塾の経緯

私が一新塾の門を叩いたのは2008年の秋でした。
それまでの私は東京の不動産ファンド会社で働いておりました。
業務で都心の大規模再開発を扱う一方、資本主義の原理だけでは地方の衰退を
止めることが出来ず、地方を愛する自分の気持ちとの間に矛盾を感じていました。

そんな中、世界金融危機により勤務先が破綻。
破綻を機に「本当に自分のやりたいこと」を見つめなおし、「地元栃木をはじめ
地方を元気にする」ことを一生のミッションにすることを決意しました。
そのヒントを探す為、一新塾に入塾した次第です。

私にとって一新塾での活動は、自分がうち砕かれることの連続でした。
ファンド運営という、いわば資本主義の尖兵であった私は、競争原理の中に
おいて自分の勝利だけを追求してきました。
しかしそれでは皆は幸せになれない。
一新塾での活動は、そんな当たり前の事すら鈍感になっていた私を目覚めさせ
てくれるものでした。

●小林村長との出会いと突然の訃報

泉崎村の小林村長とは昨年8月、一新塾での講義を通じて出会いました。
福島県南部に位置する泉崎村は、バブル期の開発が原因で財政破綻してしまいます。
通常は、夕張市のように国の管理下となるのが一般的です。
村長就任後、財政破綻の事実を知らされた小林村長は、村民みんなの尊厳の
ため、自らの手で借金返済することを選択しました。
手法としては村で宅地を造成し、そこに移住者や働き場所を誘致するという
ものでした。
予算の全くない中、村をPRする為に村長が自らが泉崎村から東京までを行脚
しました。

一新塾では塾生自らで講義進行の企画を考え、司会を担います。
私の妻が福島県の出身で、義理の妹が泉崎村在住です。
何かのご縁を感じ、私が小林村長の講義司会を担当いたしました。
講義の際、小林村長のお取り組みに感動した私は、頑張る泉崎村の皆様を
応援したく、小林村長とは逆に東京から泉崎村を逆に行脚させていただく
ことをお願したところ、村長からは快諾いただきました。

それから1ヶ月ほど後、突然の訃報が届きました。
小林村長が亡くなられました。
任期途中の早過ぎる死でした。
行脚の計画も白紙となりました。

その年の年末、私は腰をすえて地方を元気にしたいという思いから、家族を
連れて地元栃木に引越しました。
栃木での生活も落ち着くにつれ、私の心の中で亡くなられた村長との約束が
大きくなってきました。
「地方を元気にする」事が私のミッションです。泉崎村を応援するため、
小林村長との約束を果たす為、東京から泉崎村の220キロを歩いてPRする
こと決意しました。

●行脚の道中

梅雨も開けぬ今年6月19日、一新塾の同志たちに見送られながら、私は
日本橋を出発しました。
肩に「福島県泉崎村を元気に!」と書いたタスキを掛けて、国道4号線を
ひたすら北に向かって歩きます。
東京を抜け、埼玉・栃木を通過、那須連山を超え一路福島県泉崎村を目指し
ました。

道中は新聞取材や地元ラジオ局へ出演し積極的に泉崎村をPRする他、自分
でも情報発信を行ないました。
ツイッターとGPSを活用、今私がどこを歩いているのか、なにを感じている
のかをホームページにリアルタイムで公開しながら行脚しました。

わずか8日間でしたが、予想を超えた、非常に密度の濃い出会いばかりでした。
全く面識のなかった多くの方々が、ツイッターや新聞を見て思いに共感して
いただき、応援に駆けつけてくれました。
一般の方だけでなく、大手スポーツ用品店や栃木県矢板市の市長にも直接
ご声援をいただき、応援の品を頂きました。
最初は泉崎村を応援するつもりで歩いていましたが、逆に私の方が、多く
の方に支えていただいての行脚でした。
道中、体は辛かったですが、多くの方の声援をいただき、本当に楽しく歩く
ことができました。
そして、応援いただいた皆様にも楽しんでいただけたのではないかと思って
います。

●新たな約束

東京を出発してから8日後の6月26日、無事ゴールの泉崎村役場に到着
しました。現村長を初め、約50人の方に迎えていただきました。
小林村長のお墓に道中の無事を報告した後、村長の奥様と対面いたしました。
私が小林村長の思いを受け継ぎ、そして多くの方に賛同いただき、思いが
さらに広がった事をお話すると、奥様は泣いて喜んでくださいました。
その涙だけで、歩いた価値があったと思います。

村長のお墓に、新たな約束をしてきました。
「一生を通じ、地方に貢献する活動を継続すること。それに相応しい人間になること。」
これからもどんどん、地方を元気にしてきたいと思います!
その際は是非!皆様と楽しむことができればと願っています。

 


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