2009/10/28 【一新塾ニュース】第401号:
塾生活動レポート『沖縄の「辺野古」視察報告 』
☆〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓☆
一新塾ニュース〜今のニッポンを変えろ!〜
【 第401号 】 発行日:2009年10月28日
☆〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓☆
■ 塾生活動レポート(1)
『 沖縄の「ポストコロニアリズム」(辺野古を視て)』
第24期 春田一吉
■ 塾生活動レポート(2)
『 辺野古視察(出会いの連鎖)』
第24期 長崎光芳===========================================================
メルマガ読者の皆さま、こんにちは。一新塾の森嶋です。
オバマ米大統領の来日も11月12日に控え、米軍普天間基地の移設の問題で
鳩山政権が迷走しています。嘉手納基地との統合案に言及した岡田外相。
現行案でも民主党の公約違反に当たらないと表明した北沢防衛相と
「私はそのようには思っていない」という鳩山首相。
さて、一新塾第24期で「東京の方々に辺野古を伝えようプロジェクト」
を立ち上げ奮闘中のリーダーの春田一吉さんとメンバーの長崎光芳さん。
9月20日(日)〜23日(水)には辺野古ツアーを行いました。
春田さんは、沖縄には年数回、20数年行っており、近年は辺野古で
新基地反対で毎日座り込んでいる方々と一緒に基地反対活動をしてきました。
今回は、春田さん、長崎さんからの視察体験記をお伝えさせていただきます。
■■■■■□────────────────────────
■■■■ 塾生活動レポート(1)
■■
■■ 『 沖縄の「ポストコロニアリズム」(辺野古を視て)』
■■■■
■■■■■□ 一新塾第24期 春田一吉
沖縄の基地問題のことをヤマトの私が言うことは一種の畏怖があります。
沖縄の方々からすれば、何も分かっていないと批判されるかも知れません。
しかし、私が沖縄に初めて行った約20年前と現在も同じ気持ちである
「すまなさ」と辺野古で感じたこと、そしてささやかな提案を書こうと思います。
それは、沖縄の「ポストコロニアリズム」(犬飼氏の、植民地化された時点
から現在に至るまで、帝国主義にさらされてきた文化の全体のこと。ここでは
包括的な意味合いで使用します)が現在も、日本という国家を通して沖縄に存在
していると思うからです。また、それは琉球の「哀れで悲しい」歴史でもあります。
今年は薩摩の琉球国侵攻から400年、それまで平和に暮らしてきた琉球王国は
日本に隷属されました。明治政府の「琉球処分」から130年。琉球人も日本人
として約20万人も戦死した沖縄戦から64年です。現在は日本を守ると称して
国内の米軍専用基地面積の75%が沖縄にあります。そして、もう沖縄にはこれ以上
米軍の新基地は要らないと10年にも亘って反対活動をしてきたおじぃやおばぁがいます。
名護市辺野古地区には貴重なサンゴやジュゴンも住む美しい大浦湾を破壊して、
米軍(海兵隊)基地が造られようとしています。どうして侵略部隊である海兵隊
の軍事基地を「日本の防衛」という名の元に、国内では貧困が溢れているのに、
約2兆円の血税をかけて造ってやらなければいけないのか。
名護市の人口はH21で約2万5千人、辺野古地区は約2千人です。私が反対活動に
行っている時は(それ以外でも)、阻止座り込みをしているテントには殆ど地元
の方々は来られません。地元の方々には対立があるからです。
もう86歳になられる嘉陽のおじぃは、「以前は反対のおばぁ達も70人位いた
けれど、もう4人になってしまった。」賛成派の「いやがらせ」にあって、
次第に反対行動が出来なくなっていったからです。
聞いたところ、辺野古地区では基地建設に賛成派が10%、容認派80%、反対派10%
の割合だそうです。元々反対であった方々も容認派に替わったのです。
そうして、静かで何もない、助け合ってきたわずかの集落の辺野古には対立が
生まれました。
辺野古地区にあるキャンプ・シュワブは現に存在し、そこから軍用地料も入る
地主もいます。基地で働いている住民もいます。そして、現地では新基地対策費
(迷惑料)として一軒当たり数千万円配られるという噂もあります。
「政府に逆らっても無駄だ。どうせ造られるのならカネを貰った方が得策だ。」
と容認派になって行った方々がいても誰も咎められません。基地は国が与える
「麻薬」だ!と言っています。しかし「本当は、新基地はこないにこしたことはない」
と思っている方々が大半です。沖縄経済は3K産業と言われています(観光、公共
事業、基地)が、経済的に辺野古は基地しかありません。
咎められるのは、基地と振興策をセットにして、まさに基地経済に浸かりしてきた
「アメとムチ」の政策をやってきた日本政府の「麻薬」こそ責められることです。
そして、沖縄に基地を押し付けてきた「ポストコロニアリズム」の日本政府であり、
米国に完全に安全保障政策を委ねてきた国家です。そしてそのことに無関心な
ヤマトの人達がいます。
沖縄の人達は、沖縄人であるか日本人であるのかのアイデンティティーの葛藤
と悩みながら日本人として生きていこうとしています。
元々琉球は中国との交易で栄えてきました。東アジアの交易の中心地である沖縄は、
まさに鳩山首相の唱える「東アジア共同体」の貿易・平和の研究所群、世界的な
海洋環境保全研究所等の建設を行い、ひいては中国・台湾等との自由な貿易経済
特区を持った「独立州」として基地経済からの脱却をして貰いたい。
その為には、沖縄の基地縮小を叫ぶヤマトの声が必要になります。
そして、ジュゴン保護基金の東恩納さんが提唱している大浦湾の自然保護区指定
に我々も力を貸す時が来たと思います。
「ジュゴンの里」 HP http://dugongnosato.jp/default.aspx
■■■■■□─────────────────────────
■■■■ 塾生活動レポート(2)
■■
■■ 『 辺野古視察(出会いの連鎖)』
■■■■
■■■■■□ 一新塾第24期 長崎光芳
私が『辺野古』を知ったのは、一新塾で知り合いになった春田さんより、
「海にすわる」のDVDを送っていただいたことがきっかけだ。
沖縄普天間基地の県内移設先として、名護市辺野古基地建設を造る計画が
持ち上がった。
1997年、名護市民投票が行われ基地建設に対して「反対」票52.8%が上回った
にも関わらず政府は市民の意見を無視。基地建設の計画は進められた。
それから約2000日近くたった2009年9月21日、私はその『座り込みの地』に赴いた。
『これからの自分は一次情報のみ信じる』
『何も惑わされることなく、自分を信じて決めることに意味がある』
そんな思いが私をこの地に赴かせた。
2日間限りの座り込み体験にも関わらず、誰よりも優しく美しいオーラを放つ
77歳の悦美ねぇは、私に辺野古を語ってくれた。
それは、那覇防衛施設局の辺野古ボーリング調査に対しての阻止行動の
命がけの過酷な闘い・・・
『死人はださなかったけどねぇ、暴力もあったさぁ。救急車も呼ぶ事態もあったよ。
海に立っていた櫓(ヤグラ)の中では命がけの衝突があったのよ』
12年以上続けられている座り込みの日々
『辛いだけではだめ、たのしくなければつづけられないの。』
『私たちには腕力も何もない。その”弱さ”を唯一の武器にしようと立ち上がったさぁ。』
『基地とは人を殺す訓練をするところ。だから辺野古にも、県内にも県外にも
海外にも基地はどこにもいらないさぁ』
悦美ねぇの強く美しい魂に心を打たれて、私は感じた。
平和のための最高の武器は、武器を持たないということなのだ。
それを辺野古の地を守るみなさんが証明してくれている。
また、基地建設の問題は沖縄の環境問題でもあり、辺野古の大浦湾には
ジュゴンの餌である海草を食べにきます。
ヘリパッド建設予定地の東村高江、別名「やんばるの森」に生息する
ヤンバルクイナやノグチゲラはその森でしか生きることができません。
当然に、基地ができればその生態系は二度と戻ることはありません。
沖縄の宝、日本の宝であるこの自然のすばらしさを感じれば感じるほど、
腹がたった。人の欲の虚しさを感じずにいられなかった。
国際保護動物のジュゴンを殺し、戦場で人を殺す訓練をする基地のある
日本を私は『日本人』として放っておくことができません。
そして、日本人としてこれだけは言いたい。
国民の民意が無視される国は民主主義国家ではない。
もし、このまま基地が建設されることになるならば沖縄県民だけが虐げられ
犠牲にされているこの国の方針は間違っていると。
|