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        一新塾ニュース〜今のニッポンを変えろ!
         【第297号】 発行日:2007年9月11日
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目次
■ 塾生活動レポート

   『 米国で起業「 Liberta 日本(Japon)」 』 
                      一新塾第11期 新田 雅之 氏

■ 第21期説明会!『東京』 『大阪』 『名古屋』 『福岡(新拠点!)』
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      ◎東 京 9月12日(水)、17日(月祝)、19日(水)ほか
      ◎大 阪 10月6日(土)
      ◎名古屋 10月7日(日)
      ◎福 岡 10月8日(月・祝)

■ 一般公開講座→ http://www.isshinjuku.com/04i_hassin/ev_mosikomi.html
   (1) 9/13 『 現代アートで里山が蘇る!大地の芸術祭 』
                      講師:アートディレクター:北川フラム氏

   (2) 9/18 『 どうなる日本政治!〜マニフェストは政権交代のツールか? 』
           講師: 曽根泰教 氏  (慶應義塾大学 政策・メディア研究科教授)

   (3) 9/22 『 地域を変革する最新のインターネット活用術』
           講師:林冬彦 氏 (WEBプランナー、おおきにカンパニー代表)

   (4) 9/25 映画上映会 『 チョムスキーとメディア 』

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メルマガ読者の皆さま、こんにちは。事務局の森嶋です。

6年前の9月11日。
マンハッタンで、“あの瞬間”に遭遇した塾生がいらっしゃいます。
私には想像も及ばない衝撃的で悲しい出来事が、彼の背中を突き動かし
「 Liberta 日本」の起業への駆り立てていきました。
現在米国在住の新田雅之さん(11期)の熱きメッセージを、
今日、このときに、お届けさせていただきます。

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■■■■     塾生活動レポート
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■■        『米国で起業「 Liberta 日本(Japon)」 』
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                          一新塾第11期  新田 雅之

  「あなたは誰?」と聞かれたら、即座に「旅人」と答えるだろう。
そんな僕が夢見る世界は、東西南北全てが故郷、そんな世界。
互いに酒を酌み交わし、共に踊り明かす、そんな世界。 
そして、極端な話、「フィデル(カストロ)無き世は退屈だ。」と笑い飛ばせる世界。
そう、誰(民族)が欠けても退屈だと思える、そんな世界なのです。

●9.11 あの日を境に

 人生は短い。 争っている暇などない。 
僕はそう思っていた、漠然と。 だが、漠然が必然となった。 あの日を境に。
9.11はそんな日だった。 

 あの日、僕は298名の同僚を失った。
ニューヨークのマンハッタンに勤務していた僕は、映像ではなく、肉眼で飛行機
がWTCに飛び込んでいくのを目の当たりにした。 
そして、人の命には限りが
あることを改めて意識した。
そして、人生最後の日は突然やって来ると言う事も。

一瞬、一瞬が大切な「Momento(瞬間)」となった。
9.11はマイペースな自由人だった僕の背中を突き動かし、
漠然とした目標に時を刻み込んだのだった。

●「Liberta 日本(Japon)」を起業

 そして、日本の仲間や、次の世代に伝えたい事が山の如くあることを知った。
また、外地で日々奮闘する日本企業、そして日本のビジネスマン達が生き残って
事業を成し遂げる事ができる様、業界人として、より良いリスク・マネジメント
のアドバイスを一層心掛けた。伝えたいと思う気持ちの高揚と責務感は、
結果として「Liberta 日本(Japon)」として世に出る事となった。 

「Liberta 日本(Japon)」とは、ラテン語で、
進化した自由な日本を目指してを意味している。
そしてNAFTA圏で生活している日本の皆様が、日々安全に、健やかに、
そして楽しい生活を送れる様にと願い、情報発信しているのです。

また、「Liberta 日本(Japon)」に籠められた願いとしては、現在NAFTA圏で
活躍されている日本の皆さんが、将来日本へ帰国された際は、習得された経験
を活かし、進化した、競争力のある自由な日本へ貢献して欲しいとの願いが
凝縮されている。 

同時に、冷戦終結を皮切りに、経済が停滞し、閉塞感が漂っていた日本社会に、
風穴を開ける事ができれば、社会全体として再び大旋廻し、国際社会の中で
良いポール・ポジションを得る事が出来る。(政治的には、尚更のこと。 
多神教の日本は、世界でも珍しい程、宗教に寛容な国で、自ずと国際社会の中
での役割とポジショニングは他の国と異なってくる。 日本はイスラム教の国
でもなければ、キリスト教国でもない。 ましてや、ユダヤ教の国でもない。
政府はイラクに派兵したが、元来日本の国際的スタンスは異なる処に在る。)
そう思ったのです。

 現在の景気は一時的に良くなっているというものの、中長期的に見ると
まだまだ脆弱で、社会構造的に進化して始めて、本物の栄華、繁栄に手が届く
ものと信じています。 その為、外地での特異経験を持つ方々に、非力ながら
思いを伝播できれば、小川も何時かは大河になるやも知れぬ。
そして本当に風穴を開けられるかも知れない。 そう思ったのです。 

● Never too late

「Liberta 日本(Japon)」の旗を掲げたのは、
9.11から5年たったある日だった。

「Never too late」 を思いに、手続きを開始。
米国は起業を奨励している国なので、起業の手続きそのものは簡素化されていた。
総合リスク・マネジメントのコンサルティング会社に勤務している為、時間の
捻出がキーとなった。 

 そして現在、非力ながら、深夜と週末を使って、
伝えたい思いを活字にする2足目の草鞋を履いたのだった。



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