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        大前研一の一新塾ニュース  第56号 
       
          発行日:2002年4月18日

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「自分の幸せ 社会の幸せ」

 第8期通信教育コース
s                           中尾 信之

 私は、約2年間を県という組織ですごした。世界で最も高いといわれる公共工事。それによって作られた道路を使って運ばれる全ての物価が高くなる。そうして社会全体を高コストにしている。私はまさに、この悪循環の根源に身を置いた。

 ここでの状況は事務職、技術職を問わず同じである。また、まともな銀行マンは茫然自失であるという状況と同じである。自分や他人をごまかさないとやっていけない組織は勝ち組みにはなれない。共通点は顧客概念がないということである。行政のための行政。銀行のための銀行。国のための地方。国のための銀行。内部監査、会計検査院監査、補助金の適正さを検査する各種国の検査、全ては行政のための検査であって、市民のための検査ではない。間違いを公に明らかに、正すための検査ではない。間違いを公にしないための手段としての検査である。そうして組織的な問題を、担当個人の責任に転嫁して、本質は誰も変えられない。

 私は「上見て暮らすな、下見て暮らせ」という考え方が嫌いである。あなたの立場は彼らより、民間より良い。よって満足してしかるべきだ。そうだろうか?問題は部局を問わず、官民問わず同じところにあるように思う。だから私は、他の部局にも、同じような組織文化の民間にも興味がない。問題が顕著に現れている所と、たまたま顕著ではない所というだけで根本は同じである。大前さんの言葉に「沈んでいくタイタニックの中で席をかえても同じ」「30年先の組織を想像しろ」というような言葉がある。私は30年後に県が残っているとは思わない。

 行政の各個人は、戦中の日本兵と同じで、殊さら凶悪であるという訳ではない。大組織の歯車として、国を含めた予算編成の大きな渦の中の小さな駒にすぎない。そして中抜きの時代に、付加価値をつけられないなら、県と言う中間物は消えてしかるべきだと薄々気づいている人も少なくない。しかし私は、同情を欲している訳ではない。確かに、我々は小さな駒でしかないが、責任があると思う。「我々組織は、これだけオカシナところがあるのです」と声を外に対してあげるべきであると思う。守秘義務より憲法・法律遵守義務が優先する。それこそ職務遂行の根幹に置くべきで価値観ではなかろうか。

 私は、自分の幸せと、社会の幸せという両方の視点から、行政を出るべきだと考えた。今、私が考えていることは、組織のありかたである。組織とは何であろうか。価値の連鎖を起こすヴァリューチェーン。顧客まで、最も効率的な仕組みを構築するサプライチェーン。情報共有としてのナレッジマネージメント。私はこれら全ては、幸せの形を追求するものであると考えたい。価値や満足は、個人にとって幸せと置き換えることが可能であろう。顧客の幸せ(満足)を増し、従業員の幸せを増す。そうして収益のでる仕組みをなし、株主の幸せにつなげる。ひいては利害関係者全てに幸せの輪を広げ、コミュニティ全体、社会全体に貢献する。これが、組織の幸せの形ではないだろうか。

 行政にとって顧客とは誰か?道州制となった時、行政に必要なのは、民間企業・公共セクター・NPO全ての組織に共通するビジネススキルと想像性を備えた人間である思う。また行政が本当にパブリックコメント制を真剣に取り組むなら、何も提言をするのは公僕でなくてよい。今、おもしろい大きな絵を描けるのは公務員ではない。だから私はビジネスの基礎を学び、スタート地点に立ちたいと思う。旅をして心も、体も洗濯して、いろんな人と出会い、自分の引出しをたくさんの思い出で詰めなおしたいと思う。もちろん、先の見える職場の好きな人とは、これからも友達でいたい。それぞれが、正しいと思うことを追求する。そうしてそういう生き方を示していくことが21世紀維新。夢とは計画的に理想を追求し、現実にするべきものである。自分に正直になれて、とても気持ちは、すっきりしている。