一新塾ニュース  第44号
発行日:2001年10月25日

「開講目前!〜9期生へのメッセージ」

東濱克紀(一新塾第8期生)

私が一新塾を志望した動機は「主体的市民を育てる」という言葉に強く共感するところが大きかったからである。私はごく普通の大学生であるが、私の周りに関係する社会問題や、政治活動にもそれなりに関心がある。市民レベルでの活動にも興味があるが、それが直接社会を変える原動力になっているように実感できることはなかった。
市民一人一人がどのようにしたら社会をよりよく変えていくことができるのか。その方法手段を一新塾で学ぶことにより体得できるのではないか。その思いが一番の動機である。もう一つの動機は、大前研一氏がMITでの留学体験で一番学んだことである「とにかく自分の頭で考えること」をできるようにしたいと思ったからである。日本の教育では情報のインプット能力だけを評価して、アウトプット能力や情報を自分で判断する能力を鍛える訓練を行なっていない。一新塾に入学すればこの能力を伸ばすことが可能であるのではないかと思っている。

上の文章は私が半年前に書いた志望動機のレポートである。

私は今年の初めまで大前研一塾長のことを全く知らなかった。数学を専攻しているため、大学で大前研一氏を知っている友人は一人もいなかった。違う大学に大前研一氏と落合信彦氏が好きな友人がいたが、本を勧められても私は読まなかった。別の知り合いに「東濱君この本読み終わったからあげるよ」と言われてもらった本がブックオフで百円だった落合信彦氏の本だった。読書後いろいろと刺激を受けた私は、友人の好きな大前研一氏のことを思いだし、ネットで大前“健一”と検索した。(私は音で「オオマエケンイチ」としか知らなかった)

そこで偶然にも大前研一通信に出会った。私はさっそく申し込んだ。入会する時に頂いたバックナンバーを読んでから一新塾のことを知った。大前研一通信はすぐに申し込んだ私であるが、一新塾に入塾することに対しては躊躇した。私は大前研一氏の本を一冊も読んでいない、講義を理解できる自信もない。一年間大前研一氏の本を読んで勉強した後で来年入塾してもいいのではないのか?

私に決心させたのは、次の言葉だった。「ソニーの会長だった盛田昭夫さんは72歳までスキーを楽しんでおられたが、57歳である私は、「72歳まであと15回しか滑れない、一回一回が貴重だ」と考えた。私は、このように常に死の瞬間から逆算し、自分の人生の残り時間をはじき出し、その間にやりたいことがあと何回できるかを考えてきた。」(大前研一通信VOL77『IT時代に勝ち残るサラリーマンの人生戦略』)

一新塾に入塾するのも幾つかの偶然の積み重ねだった。その上に今の私が存在している。友人は私を一新塾にいれる為に本を勧めたわけではない。小さな出来事が影響しあって、私の行動につながっている。意図的に他人の人生を変えようとしても難しい。しかし何気ない一言が一人の人生を大きく変えたのだ。同じようなことは私にも言えるのではないか。国や社会をすぐに変えようとしても難しい。しかし私の些細な行動が地域や社会に影響を与えることができるのではないのか。

「一新塾は政治家養成学校ではなく主体的市民の育成の場である」このことを常に意識していた。入塾式でまわりをみても、凄そうな人ばかりだ。学校と考えたら私の知識ではかなわない。しかしここは主体的市民を育てる場である。ここでは主体性のみが問われるのだ。同じ市民であるのだから多少の知識の差があってもいいのだ。私のようなのが一人ぐらい混ざっていてもかまわないのだ。大前研一氏も同様である。彼も同じ市民であるのだ。

「人生は勢いとはったりだ」
これは私の座右の銘である。勢いとは心身ともに充実していて、はじめて生まれるものである。人は勢いがある人についていく。はったりも自分自身に強い信念がないとつけないものである。人を説得するよりも自分のことを信じることが重要だ。小さいスケールで考えていても始まらない。そして何も変わらない。

「知識もありません。人生経験もたりません。やる気と気合でがんばります」(八期オリエンテーション東濱克紀の自己紹介より)