一新塾ニュース 第42号 発行日:2001年10月12日

「一新塾との出会いから」
金澤 宏昭(一新塾第6期OB)

 私と一新塾との出会いは、2年前に遡る。

 当時、私は地元愛知県で大型トラックや、工場の夜勤作業など、様々な職をしながらも、悶々とした日々を過ごしていた。どの仕事もブルーカラーの、肉体的にはキツイ仕事ではあったが、給与も良く、充実感もあった。だが、『自分の人生とはこんなものだろうか?』という思いも抱いていた。もっと社会の動きの真っ只中に飛び込んで、自分なりに世の中に貢献したい。その為に、何かプロフェッショナルなものを身に付けたいと考えていた。そんな時、図書館で広河隆一というフォトジャーナリストの写真集『人間の戦場』を手にした。それまでカメラなど、全く興味を持っていなかったのだが、写真という手段を通して、社会に対して様々な矛盾や、問題を提示していく、こんな職業が存在するんだ、という感動を覚えた。そこで一念発起し、東京へ上京、ジャーナリスト専門学校のフォト科への入学を決めた。

 学費を稼ぐ為に、新聞奨学生として新聞店で住み込み生活をしながら、仕事と学校の両立を目指した。その学校で出会った友人に一新塾へ誘われたのだが、私自身が入塾を決意した一番の理由は、第六期の講師として広河隆一さんの名があったからだ。

 一新塾で1番驚いたのは、集まっていた方たちの幅の広さだ。弁護士、商社マン、学生に、主婦・・。こんなにも大勢、社会に対する意識の高い人たちがいるんだという驚き。なにより、主義・主張を超えて語り合える自由な雰囲気。始めのうちは自分の知識の無さにどこか気後れし、遠慮していた私も、たとえどんな意見だろうが、真摯に対応し、きちんと向き合ってくれる仲間の存在に、より一新塾という出会いの場に魅力を感じていった。

 私は、合宿等を通して、両立チームに加わり、最終的には携帯電話を使った地域コミュニティーの活性化という提言を作り上げることが出来た。その提言は、ボランティア的な部分が排除された形で、チームメイトの加藤智久君の手により、携帯電話を使った新たなビジネスモデルにまで昇華され、ベンチャー会社が設立されるまでになった。

 私自身は、一新塾での政策提言活動とともに、日本に暮らす不法滞在の外国人売春婦の取材・撮影を始めていた。それらの写真は広河隆一さんにも講評していただく機会に恵まれ(一新塾後の飲み会、二新塾で)、テーマに対する新たな視点と、切り口を得ることが出来た。そして2年間の学校生活を終えた私は、撮り貯めた作品をまとめ、国境なき医師団(1999年にノーベル平和賞受賞のNGO)の日本事務所が主催する『MSFフォトジャーナリスト賞』というコンテストに応募した。
この賞は1997年から始まり、今年で5回目。毎年、年間1名のみが受賞という狭き門だったが、写真作品と文章ルポルタージュでの審査と、面接を経て、見事、受賞。今年(2001年)の8月25日から、約1ヶ月間、アフリカのウガンダへカメラマンとして派遣される機会を得ることが出来た。緊急医療援助団体である国境なき医師団のフランスチームに合流し、彼等の医療活動を撮影するとともに、長年に渡る虐殺や内戦で荒廃し、多くの問題を現在にまで残しているウガンダの現状を撮影した。   

 具体的には、ブンジブジョ地方(コンゴ民主共和国との国境に接する)において、合同民主戦線(ADF)と呼ばれる反政府武装勢力ゲリラと政府軍との戦闘で巻き添いとなった山間部の住民が国内避難民となり、住み慣れた村を捨て、いつ始まるか分らない戦闘への恐怖にさらされながらの生活を余儀なくされている状況や、眠り病とスーダン難民を抱えるオムゴ地方、母子感染によるエイズの蔓延が進むアルア地方を撮影した。そのアルアに滞在中に、アメリカでのテロ事件が起き、ブンジブジョの群立病院に派遣される予定だった日本人看護婦の到着が遅れ、私の滞在中に、彼女の医療活動を撮影できないといったこともあった(国境なき医師団の、独立・中立の理念を支えてくださる方々に対する、組織活動のアカウンタビリティーの為、海外での日本人スタッフの活動状況を撮影することは、重要な任務の一つだった)。

 私自身、初めての飛行機・初めての海外という不安を抱えながらも、無事、撮影活動というミッションを達成出来たのは、まず飛び込んでみるという気概を持つことができたからだったのだと考えている。そして、その度胸を私にもたらしてくれたのが、一新塾での経験だったのだと思う。

 日本人が私一人という環境の中に身を置く事で、色々と考えさせられる事も多かった。コミュニケーションの方法一つをとっても、賛成・反対を問わず、自分の意見を主張することの重要さ。(無言は、何を考えているか分からない、と思われる)。無意識のうちに持っていた、アジアの中では日本がトップだという意識。アフリカ等の国に対する、上から見下ろす視点等々。実際に、自分がそういった意識を、知らず知らず持っていた事実に気付かされた。それに、客観的に日本という国を見れるようにもなった。なにより、国内避難民キャンプという生活を強いられながらも、笑うことが出来る人々。人間としての豊かさとはなんだろう、とも考えさせられた。ますます自分の未熟さを感じさせられたのと同時に、取り組むべき多くの課題も、おぼろげながら見えてきた。

 自分の能力不足や、経験不足から、何度も不安を感じることがあったが、第六期同期生の木下豊さんをはじめ、多くの方々の、様々な分野での活躍が、私自身にとって大きな励みとなり、自分も負けていられないというモチベーションとなり、自らが行動することで示していく、その一歩を踏み出す勇気を与えてくれたのだと考えている。
 今、改めて、多くの仲間との出会い、そして勉強の機会を与えてくれた一新塾に、感謝したいと思う。

一新塾第六期卒塾生
金澤宏昭(かなざわ ひろあき)略歴
1976年、愛知県生まれ。
1997年、   名古屋外語専門学校 文化教養専門課程 実用英語科卒業。
1997-1999年、人材派遣会社勤務及び大型トラック運転手、警備員として勤務。
2001年、 日本ジャーナリスト専門学校 映像科フォトコース卒業。
(1999年大前研一の政策学校「一新塾」第6期に参加、卒塾)。
(日本ジャーナリスト専門学校講師、樋口健二氏のカトレア会に
卒業後所属)。
現在フリー。

★★★写真展予定(ウガンダでの作品展示)★★★
日時:2001年11月23日〜一週間。
場所:「東京写真文化館」http://www.tpcc-akasaka.com/
   東京都港区赤坂3-9-1 紀陽ビル
   TEL 03-3505-2335
   FAX 03-3505-0288
   地下鉄「丸の内線」及び「銀座線」で『赤坂見附駅』下車。
   A出口の階段を上がり、左に向かい徒歩30秒。
時間:平日   11:00〜19:00
   土・休日 11:00〜18:00
   (入場は開館の30分前まで)
   月曜休館。

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■編集室より
先日ウガンダに行っていたと一新塾事務局に、金澤君がひょっこり訪ねてきた。
1年半ほど顔を合わせていなかったが、以前と変わらぬ澄んだ目と、以前には
なかった大らかな優しさが備わってきたと思った。彼はウガンダに行って「被
写体の背後にある歴史とか文花とかいったものを理解していなければ、本当に
伝えることは出来ない」と言ったのが印象に残っている。  (森嶋)