一新塾ニュース 第40号
発行日:2001年10月9日 『主体的市民』への道 森嶋 伸夫(一新塾マネジャー) IT革命により、これまで強大な力を誇ってきた行政・企業主導型の社会システムが揺らぎだした。21世紀は、組織ではなく、個人がより豊かさを享受し、自由に活き活きとその可能性を発揮してくことが、社会の活力の源泉だ。これまで、私たちの生き方は国や起業に寄りかかっていればなんとかやっていけたが、今後はそうはいかない。例えば、経済のスピードの加速化により企業の寿命は短くなり、一つの会社で一生をすごすといったことは稀になるだろう。しかし、こうした時代の到来は、私たちにとっては大きな試練であるものの「自らのリスクを前提に、自分が本当に望む生き方を実践できる時代の到来」といえるのではないだろうか? さて、この10月14日にはこの一年の塾生・卒塾生の『主体的市民』としての活動を紹介した「大前研一の一新塾〜パート2」がプレジデント社から出版される。ここで掲載されている『主体的市民』の活動の一つをご紹介しよう。 『昨年10月長野県知事選挙では、保守王国だった長野に無党派、市民派の田中康夫知事が誕生。その一翼を担ったのが、6期生の小布施に住む木下豊さん。小布施のまちづくりに関わっていて、そのプランを煮詰めるために、小布施から一新塾まで毎週休まず新幹線で通っていた兵(ツワモノ)である。 田中氏擁立にあたっては、長野の財界がまず働きかけをするのだが、「普通の県民、できれば私より若い世代の動きはないのですか?」との田中氏の返事。これを受け、木下さんを含む20代から40代までの5人のメンバーが「田中さん、知事選に立候補しましょうよ会」を立ちあげて会見。街頭署名を展開して田中氏を説得。田中氏は6期の講師でもあり木下さんは一新塾の教室で一度面識があった。そして、木下さんは選対事務所で田中候補の事務方の秘書役を引きうけ、全県に誕生した勝手連の調整役を務めると同時に、「ミニ・個人演説会」担当として、45日間でなんと110回のミニ集会と個人演説会を実現した。 当選後、木下さんより、「勝手連で盛り上がった県民の声を集約して知事の県政に反映させるためのNPOの立ち上げを考えている」との話を聞き、それならばということで、昨年12月、木下さんに一新塾にお越し頂き塾生を交えてこの構想についてのアイディアを意見交換した。その時、「しなの鉄道」問題が話題にあがった。 「しなの鉄道」とは、平行在来線を引きうける日本初の第3セクター(県出資75%)である。平成9年の長野新幹線(整備新幹線)の開業に伴い、「信越線」軽井沢―篠ノ井間をJR東日本より約104億円で購入し、しなの鉄道株式会社として再スタートした。しかし、毎年10億円もの赤字を出しており、その穴埋めに県民の税金が充てる計画や、値上げの検討がされていた。また、マイカーや新幹線に人の流れをとられることで、そのしわ寄せが沿線住民に押し付けられ、サービスの低下や地域の衰退などが懸念されていた。 今後は、整備新幹線のフル規格延伸により、在来並行線の第三セクター化が全国で次々に発生するが、恐らく同じような問題が起こることも懸念される。「しなの鉄道」問題を解決出来れば、他県で同じような問題が起こった場合に、その問題解決方法を適用できるかもしれない。 その頃、一新塾では7期の「IT情報公開」政策提言チームが中心となり、一般の人たちの声を国会議員に繋いく目的で、「BOOBOO」を結成し、サイトを立ち上げ活動を開始したところだった。そのメンバーを中心に「しなの鉄道」問題のサポート活動に加わることにした。 まず、今年1月に小布施で第1回目のミーティングを行い、「しなの鉄道研究会」を発足した。地元の有志メンバー3名と東京からの一新塾有志メンバー8名からのスタートであった。沿線住民である上田市のメンバーが代表世話人となり、地元の声を汲み取り精力的に提言を纏めていった。木下さんは、その提言を知事へ繋げていった。一新塾メンバーは、個々の持ち味を活かし様々な角度から提言作成のサポートを行った。メンバーの中に鉄道会社の社員、運輸政策の研究者などの専門家がいたことは大きかった。 また、「しなの鉄道研究会」の活動が地元新聞に取り上げられ、それを見た複数 の財界人から協力の申出があった。長野知事選以来の「市民運動と財界のパイプ ライン」が再び機能し、田中知事や県庁を揺り動かしたことも大きな収穫だった。 現在、紆余曲折の提言活動を経て、やっと田中知事が「しなの鉄道の抜本的改革に取組む」と意欲を示すところまできた。また、5月より県の「しなの鉄道経営改革検討委員会」に代表世話人が提言する機会も頂き「放漫経営のメンタル面の改革」「人件費を運賃収入の50%以下に」「新型急行電車導入」などを訴えている。 「しなの鉄道研究会」のミーティングは、半年間で4度の合宿をしたが、距離の問題もあり頻繁には顔を合わせることが難しかったが、メーリングリストが武器になった。しかし、メールのみの議論ではコミュニケーション上のトラブルも発生することがあり、膝を交えてコミュニケーションをとることの大切さも十分学ばせてもらった。 今回のプロジェクトでは、関わる多様な個々の知恵がコーディネートされ、大きな力となった。人と人との関係が"高次の何か"を生み出したのではないかと思う。同じ目的を共有した人たちでプロジェクトチームを作る。こうした主体的市民の活動が人の絆を通じて伝播していけばいい。それぞれのトライアルの中で『新しい市民参加モデル』の成功例ができれば、それを発信し全国に波及させていくのである。』 |