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         一新塾ニュース〜今のニッポンを変えろ!〜
          【 第369号 】 発行日:2009年1月19日
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■ 塾生活動レポート
              『 共存共栄への道 』 〜 感謝祭で思うこと〜

                             第11期生 新田 雅之
                
■【 参加者募集 】 誰もが社会創造のプレイヤーになれる!

    一新塾入門講座 『社会ビジョン探究&問題解決ワークショップ 』

     日 時:2009年2月15日(日)13:30〜18:30
     講 師:森嶋伸夫 (一新塾代表理事・事務局長)
     参加費:3000円
     → http://www.isshinjuku.com/04i_hassin/ev_mosikomi.html

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 メルマガ読者の皆さま、こんにちは。一新塾の森嶋です。
  明日のオバマ大統領の就任式を世界中が注目しておりますが、米国で
「 Liberta 日本(Japon)」を起業された新田雅之さんからメッセージをいただ
きました。
  新田さんは、9・11 米国同時多発テロの際、ニューヨークのマンハッタンに
勤務されており298名の同僚を失う大変衝撃的な悲しい出来事に遭遇されました。
その後、一念発起し、NAFTA圏で日々奮闘する日本企業、そして日本のビジネスマン
達が生き残って事業を成し遂げる事ができるようにと、機関紙の発行を続けて
いらっしゃいます。
  今回は、新田さんより『共存共栄への道』をテーマにメッセージをいただきました。

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■■■■■ 塾生活動レポート
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■■■           『 共存共栄への道 』
■■■■          〜 感謝祭で思うこと〜
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昨年11月のこと、米国は、サンクス・ギビング・デー(感謝際)を迎えた。
食べ物への感謝の意を表して。異教徒だったピューリタン達がヨーロッパから
メイフラワー号に乗ってアメリカ大陸に渡ったのは1620年(それ以前にも
北欧のバイキング達が上陸しているものの、定住の意思は無かったと言われている)。

現在のマサチューセッツ州、プリモスに上陸したものの、102名いたメンバーは、
飢えや寒さで、その半数が命を落とした。その後も米大陸には、次々と西洋人が
やって来た訳だが、彼らを飢えから救い、狩の仕方、魚の採り方、そしてトウモロコシ
をはじめとした作物の育て方を教えたのは、元々アメリカ大陸に住んでいた
ネイティブ・アメリカン達(通称インディアン:「正真正銘」のアメリカ人達)だった。

感謝祭は当初、インディアンに感謝すると云う意味合いもあったと言うが、
西洋人達が書いた、数々のインディアン関連の歴史記述書にもある通り、
「良いインディアンとは、死んだインディアン」という認識が根強かった。
因って、インディアンに対する差別は今でも脈脈と残っており、彼らは米国の
階級社会の底辺部から脱け出せずにいる。

そして、感謝祭は、何時しか米国人の一般的な認識として、
単に「一年の収穫、そして食べ物に感謝する」お祝い事となった。

●インディアン達の歴史に学ぶ

私は、縁あって、これまで多くのインディアン達に出会ってきた。
彼らは、物質的な点では貧しいが、一般的に皆親切で、温かく、そしてやさしかった。
西洋人がやってきた時も、そうだったであろうと簡単に想像がつく。編者は毎年
この感謝祭の季節になるとこれまでに出会って来たインディアン達の事を思い出す。
そして西洋人達が到来した後の彼らの世界を思うと胸が痛む。そんなインディアン達
の歴史は、多くの事を教えてくれる。 

インディアンと西洋人の関係がその後どうなったかは、誰もが知る周知の事である。 
西洋人達にとって、出立ちからして大きく異なっていたインディアンは、得体の
知れない存在でしかなかった。そんな彼らの末裔達も、昨今では「文明」と呼ばれる
一般的な洋服を纏っている為に、私は声をかける際に誤った対応をした事が幾度と
なくある。何人かに、日本人か日系人だと思って、気安く日本語で話しかけて
しまったのだった(笑)。

インディアン達は元々、部族ぐるみで住んでいた為、部族間の争いも起った。
彼らには土地の所有といった考え方こそなかったものの、それぞれが広大な縄張り
を有していた。部族間の争いは当然起こり、そこを西洋人に巧みに衝かれた。
技術的に数段上の銃火器や飛び道具、そして、アレクサンダー大王やマキアベリ流儀
の兵法と、「分断統治」戦略に翻弄された。

インディアン達が敵う筈もなく、彼らの広大な大地は、決して守られる事のなかった
条約や契約で尽く奪われた。彼らに残った土地は、米国連邦政府より与えれた居留区。
人が到底住む事が出来ない様な南西部の不毛の砂漠地帯、核物質汚染地帯や、極寒地
の岩場「バッドランド」がよく知られている。

彼らにとって致命的だったのは、連邦政府の同化教育政策で、次世代を担う筈
だった子供達が強制的に親と引離され、固有の言語を失った事だ。
今では僅かに記憶に残る単語を、彼らは宝石の如く大切にしている。

●インディアンの涙に思う

インディアンの涙に思う事は、アジアはアジア人どうしで、また、中南米は中南米人
どうしで戦ってはならないと云う事である。同様の事は、アラブ、アフリカ、
コーカサス、バルカンと何処にでも当て嵌まる。

嘗て日本は、座して列強の植民地になる事を良しとせず、虎視眈々と南下を目指す
ロシアや列強を押さえ、アジア諸国と共に列強各国と相対する好機があり、
理想を掲げ、教育・インフラ整備等にも力を注いだ。
しかし、諜報戦に破れ、あべこべに戦ってはいけないアジアどうしで戦う事となった。

ジョン・ボイル教授(ハーバード大学より東洋歴史学博士号;日本にも4年間在住)
曰く、当時の日本が直面したのは、
1)アジアに蔓延る列強各国、
2)日露戦争で敗北し、その後軍事増強したロシアの度重なる南下政策、
3)アメリカの海外への西進(メキシコ、カリブ、ハワイを制しアジアへ)、
即ち「明白なる天命」の第二段と、丁度歴史が交差するそんな時代だったと云う。

ロシアのスパイ、ゾルゲ等はドイツの新聞記者になりすまし、日本の国家機密を
盗み出し、日本の目を南に反らした。米国もまた、アジア人どうしが戦う様、
諜報員や「義勇軍(実際は米軍):“フライング・タイガー”」を用い、
見事に此を成遂げたのは余に有名で、今更語る必要もないだろう。 

●アジアはアジア人どうしで戦ってはならない

そして、近年「ショーダウン」に見られる様に、アジアを分断しようとする動きが
再び活発化している。だが、慌てる必要はない。マレーシアのマハティール前首相
が口を酸っぱくして語った様に、アジアの国どうしで戦わない様に心掛け、隙を
見せない事である。

万が一を考えても、日本には迎撃用の兵力が周辺諸国の何倍もあり、性能も優れている。
棍棒も無い事になっているが、実在したし、常に領内にある。本当に必要であれば、
国内で議論をすれば良い。また、アジアと戦わないと云う事が即、反米、嫌米、
反西洋となってはいけない。政治家もメディアも適正なさじ加減で、柔軟な世論を
きちっと形成し、毅然と日本の主張をすれば良い。仮に相違があっても、論理的に
説明し、場合によっては握手をしたまま、足で蹴飛ばし「なめるなよ!」の信号を
送くれば良い。

そして重複にはなるが、最も大切な事は、アジアどうしで戦ってはいけないと云う
メッセージをアジアの国々に、事ある毎に口にするのである。

それには、一つ懸念がある。米軍と自衛隊の軍事情報システム・ネットワーク等の
共有は行き過ぎである。安全保障条約を結んでいるからと云って、そこまでする事は
頂けない。戦う必要のない戦いに必然的に巻き込まれるのは必至である。
政治の不在で、全てが「なし崩し的に行われている」事が、何よりの心配で、
このことが私の安眠の妨げとなっている。

 


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