一新塾ニュース  第32号

発行日:2001年8月10日

私が『裸のお医者さまたち』を書いた理由
桑間雄一郎(5期OB)

第5期の桑間と申します。
1997年に米国での医師トレーニングを終えて帰国した私を待ち受けていたのは、変わる力を失った日本の医療界でした。既得権益でがんじがらめにされた国が定める診療報酬制度のもとでは、医学的に価値の高い医療行為があっても、広くダイナミックに日本の医療へ取り入れられていくことはなく、意義の少ない古くからの医療が多くの医療機関でワンパターンに繰り返される、目を覆いたくなる状況だったのです。

帰国後1年間は医師としての診療活動が中心の生活を送りましたが、その後1998年からは超保守的なことで名高い日本医師会のシンクタンクである日本医師会政策研究機構での研究員をはじめました。
私の思いと医師会の方針がかなり異なることは分かっていましたが、医師会という組織のなかに身をおかなければ、自分の意見を少しでも日本の医療制度に反映させていくことはできません。自分の意見を押し殺すことを余儀なくされることを覚悟での転職でした。

せっかく米国で学んだことがたくさんあるのに、これを拒絶されつづけることになる生活を目の前にして、私は自分の叫びを堂々と主張できる場、日本を変えていくんだという意欲に溢れる仲間が集まる場である一新塾の塾生になることに救いを求めました。
変わろうとしない医師会で貯まったフラストレーションを、変革の意識で高揚する市ヶ谷の一新塾へと足を運びながらすっきりさせる。そんな日々を今懐かしく思い出しています。
医師会にいた2000年までの2年間には、目立たないながらも、変革の種を植えるような仕事をいくつもしました。種の多くが芽を出し、今現在は私の手を離れたところで改革の委員会が動き始めているようです。

私の次の仕事は、広く国民全員の医療改革への理解と意欲を高めることです。日本のしがらみを離れて、完全に自由な立場で、私の思うことを直接日本人に語ることなのです。
2000年夏に再び渡米し、ニューヨークのベスイスラエルメディカルセンターの医師をしながら、一般の方対象の本を一冊書き上げました。原稿の三分の二は、実は一新塾に通っていた頃に既に書いてあったものです。ニューヨークからの情報発信であれば外圧に弱い日本人は耳を傾けてくれます。そしてニューヨークに身を置く私は、日本のヒラルキーからも開放され、堂々と意見を述べることのできる一個人として捉えてもらえます。今度は政治的配慮で自分の意見を変に押し殺す必要もありません。今回の著作は、自由になった私の日本を愛する叫びなのです。

7月初旬に書店に並び始めて、まだ1ヶ月弱ですが、国民の医療に対する不信が極度に高まっている中、好調な売れ行きになっています。一新塾の皆さんも、是非ご一読いただいて、日本の医療をどうするべきかの議論を巻き起こしていただければ幸いです。
私の最大の主張の一つは、日本の得意技は根性であって決して頭がよいとはいえないというものです。日本人はきめの細かな感性を持ち責任感が高い点は優れているのですが、全体像を捉える知恵は欠けているのではないかという懸念です。以下に、本の一節を抜粋します。

『太平洋戦争のときに、陸軍兵士は一生懸命星の数を数えながら目の訓練をし、敵兵の早期発見に備えたそうです。帝国陸軍の兵士の敵兵発見能力は、それは きめ細くすばらしいものだったでしょう。しかし、レーダーを作ろうと主張す るなど、全体像から考える人がいなかった。そして、目など悪くてもレーダー を作ったアメリカにあっという間に負けてしまった。今の医学に対する日米の 対処の仕方も、本質はこれとまったく同じです。』(本文より)。

目次などの情報はアマゾンのウェブサイトを参照ください。
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/tg/detail/contents/-/books/4828409335/249-5061696-1249923

では、一新塾の皆様のご活躍をお祈り申し上げます。



■編集室より

桑間さんのお書きになった『名医と迷医の見分け方 裸のお医者さまたち』はビジネス社より好評発売中です。一新塾マネジャー森嶋も太鼓判の面白さです。

一新塾ニュース編集担当 近藤芳樹


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